著者:横木安良夫+ 10photographers
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BY 11 photographers COVER PHOTO YUNA OGAWA
ARI HATSUZAWA TERUYO FUKUMOTO HIROYUQUI TACHIHARA SHIGEAKI AONO TERUMASA ARIMA YOSHITADA NAGAMORI YUICHI OIDE YUKIKO SUZUKI YUNA OGAWA YOSHINORI KAMEI ALAO YOKOGI
TOKIO JR東京駅界隈 山手線周遊
子供の頃の東京駅の印象は、「島式」という幾つものホームが並行に配置され、19番線まである巨大な駅という一言だ。
小、中学生のころ鉄道模型少年だった僕は、終着駅でもある「頭端式」の上野駅の構造が好きだった。
1964年開業の新幹線以前、1958年から走り出した在来線の特急「こだま」がホームに停車していた。ベージュ色に
赤いストライプの列車は電気機関車が牽引するのではなく、新開発の電車型特急だった。それは大阪まで6,7時間で走るビジネ特急と呼ばれた。
1963年の黒澤明の映画「天国と地獄」にはこの「こだま」が使用されている。トイレの小さな窓が開閉できたので、走行中、
そこからバッグに入れた現金を放りだし、犯人に受け渡す印象的なシーンがある。現在の新幹線だった不可能な設定だ。(もっとも諸説あり、
当時のこだまも窓から放り出すことはできなかったともいわれている。映画のなかのフィクションだ)
中学になると僕は近視になりメガネを作ることになった。
大丸デパートのメガネ売り場で何度か作った。
その頃の大丸デパートは特徴のないが巨大なビルだった。越境して通っていた中学がJR御徒町だったから東京駅が近いので大丸だったのだろ。
なんどか母親に連れられて眼鏡を作った。その後もずっと大丸のメガネ売り場でメガネを作り続けていた。
東京駅を煩雑に使ったのは、大学2年の時だ。1968年、学園紛争が始まり1年間大学は封鎖された。実際は3年生(1年間で2年3年を履修した)の春、
茅ヶ崎から通っていた演劇学科のガールフレンドができたのだ。それからというもの見送ったり、迎えたり、東京駅にやってきた。
そのうち週末は茅ヶ崎の彼女の家に入り浸った。4年生になると中古のトヨタカローラスプリンターを手に入れたので鉄道を利用することはなくなった。
卒業し、アシスタント時代は新幹線に乗るため東京駅を利用した。フリーランスの写真家になってからもずっと東京駅を利用し八重洲の地下駐車場を利用した。
そのうち品川駅の便がよくなり東京駅に来ることはまれになった。
駐車場の関係もあるのだろうか、JRの丸の内側に来ることはほとんどなかった。皇居や丸の内にでるのも地下鉄のほうがずっと便利だからだ。
東京駅が改修され、日本には珍しい駅前広場が整備された。駅を背に丸の内界隈を眺めると、視線を低くする限り昔の丸の内とさして変わらない
丸の内の過去の景観を保存されている。ただ見上げると実際は高層の「再開発ビル」となっているので
正直類型的な特徴のないガラスばかりの今の東京の景観となっている。
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