著者:良遍
ページ数:55
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鎌倉時代に活躍した法相宗の僧侶・良遍法印が著した通称『二巻鈔』と呼ばれる著書を書き下しました。『二巻鈔』が解説される時には天保年間の版本が最も広く用いられておりますが、本書は元禄年間の写本に基づいて書き下しを行いました。『二巻鈔』は上下二巻の唯識を分かり易く解説したもので、別名『法相二巻鈔』『唯識大意』『法相大乗宗二巻鈔』『初心鈔』『奥義鈔』とも呼ばれています。『二巻鈔』に詳細な注を付した延尊『法相二巻鈔註解』(当会所蔵)によれば『初心鈔』と称するのは唯識の基本的な部分が網羅できるためだとし、『奥義鈔』と称するのは第二巻の後半の仏身観に基づくと述べています。
唯識と言えば論理的な部分だけが有名になり過ぎている傾向があります。しかし唯識も仏教の一部門に過ぎないのですから、仏身論、つまり唯識から考える仏とは何かが定義付けられていなければ学ぶ目的が失われる危険があります。その点『二巻鈔』は唯識の目指すべき仏の在り方である仏身論を端的に説明している点に大きな特徴があります。なお理論だけを学んでも実践がなければそれは仏教ではなく、単なる哲学に陥ってしまいます。唯識は瑜伽行派と言われる通り、実践と理論が伴わなくてはなりません。日本仏教史的に言えば、その瑜伽の実践として真言密教が行われてきました。本書『二巻鈔』にも「受職潅頂」、いわゆる真言密教の伝法潅頂に言及しています。『金剛頂経』では五相成身観という即身成仏の瞑想の初段階で未だ金剛喩三昧を得ていないと一切如来から告げられます。そして如来たちの教えに随い瞑想を続けて「五仏潅頂」を受け、修行者は金剛界菩薩となります。それは正に仏と等しい状態、つまり等覚の菩薩となったことを顕わしています。良遍は本書にて「金剛喩三摩地と申す定に入て、先に申し候ろう仏果の障を断ずるなり。此の時を等覚の菩薩と名付く。受職潅頂の儀式、此の位にあり」と述べているように『金剛頂経』の思想を取り込んでいると言えます。
真言密教の別名は瑜伽宗、つまり現代のヨ一ガのことですから、唯識の実践としても古来より取り入れられ、また真言密教の方でも唯識を学ぶことが推奨されてきました。まさに『二巻鈔』は法相宗や唯識という枠を越えた、あらゆる仏教の基礎学的な意味でも優れた入門書と言えるでしょう。
唯識と言えば論理的な部分だけが有名になり過ぎている傾向があります。しかし唯識も仏教の一部門に過ぎないのですから、仏身論、つまり唯識から考える仏とは何かが定義付けられていなければ学ぶ目的が失われる危険があります。その点『二巻鈔』は唯識の目指すべき仏の在り方である仏身論を端的に説明している点に大きな特徴があります。なお理論だけを学んでも実践がなければそれは仏教ではなく、単なる哲学に陥ってしまいます。唯識は瑜伽行派と言われる通り、実践と理論が伴わなくてはなりません。日本仏教史的に言えば、その瑜伽の実践として真言密教が行われてきました。本書『二巻鈔』にも「受職潅頂」、いわゆる真言密教の伝法潅頂に言及しています。『金剛頂経』では五相成身観という即身成仏の瞑想の初段階で未だ金剛喩三昧を得ていないと一切如来から告げられます。そして如来たちの教えに随い瞑想を続けて「五仏潅頂」を受け、修行者は金剛界菩薩となります。それは正に仏と等しい状態、つまり等覚の菩薩となったことを顕わしています。良遍は本書にて「金剛喩三摩地と申す定に入て、先に申し候ろう仏果の障を断ずるなり。此の時を等覚の菩薩と名付く。受職潅頂の儀式、此の位にあり」と述べているように『金剛頂経』の思想を取り込んでいると言えます。
真言密教の別名は瑜伽宗、つまり現代のヨ一ガのことですから、唯識の実践としても古来より取り入れられ、また真言密教の方でも唯識を学ぶことが推奨されてきました。まさに『二巻鈔』は法相宗や唯識という枠を越えた、あらゆる仏教の基礎学的な意味でも優れた入門書と言えるでしょう。
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