著者:吉本達也
ページ数:49
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本作の主役であるふたりの大使が立つ床面の中央部には、六芒星(ソロモン印章) が大きく描かれている。これはノルマン朝の祖ウィリアム征服王以来の、歴代英国王の戴冠の場として知られる、ウエストミンスター・アビーの至聖所をあらわす床面の文様に、ホルバインがあとから自分で描き足したものである。上向きと下向きのふたつの正三角形を組み合わせた、この特別な強度をもつ魔術的図形は“照応”をあらわし、作品全体を統一的に解釈する際のカギとなるものである。これまで 《 大使たち 》の解読作業を規定してきた有名なアナモルフォーズのしゃれこうべは、この照応主題と結びつくことにより、はじめて完全な文脈を与えられることになる。つまり、このしゃれこうべは従来考えられてきた、古めかしい「死を忘れるな」memento mori ではなく、おなじ禁欲主義ではあっても、よりルネサンス知識人向きの俗世蔑視、この地上で聖なる次元とのつながりを保つために、神的でないものを遠ざけるという、プラトン主義化された「キリストの模倣」 imitatio Christi、すなわちエラスムスの「キリストの哲学」であり、ホルバインが自身の周知の知的背景である、キリスト教人文主義の立場から、照応により神的なものに預かる、えらばれし人間たちを説明づけたものである。本作はこうした一種エリート主義的な色彩をおびた、“神の下の平等”に立脚する、「英国王としての大使たち」という擬制肖像画の体裁をとっていると考えられ、ヘンリー8世との交渉に臨もうとする大使たちを鼓舞したものと見ることができる。さらに 《 大使たち 》には、恣意的解釈をさし挟む余地のすくない、ふたつの常識レベルの事がらが存在していると見るべきだろう。ひとつは本作を支える構造である左右の大使の対等性であり、それぞれの大使が「観想の生」vita contemplativa と「快活の生」vita activa を象徴することから、画家はふたつの敬虔のスタイルを、まったく対等と位置づけていることになる。もうひとつは、ひらいて置かれたルターの本であり、これは絵画文法上《 大使たち 》全体の中心主題となるべきものである。ルターの讃美歌ふたつを結合した、この本の左右のページがあらわしているのは、キリスト教的な照応である“異言”と“預言”であり、パウロ書簡(1コリント14) に「異言を語る者が自分を造り上げるのに対して、預言する者は教会を造り上げ」るとあるように、その相違点は、ふたりの大使が象徴している観想の生と快活の生という、ふたつの敬虔のスタイルに精確にあてはまるものである。
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