著者:盾のまま
ページ数:206
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鷦鷯(後の仁徳天皇)の時代、高句麗・談徳王は大陸最強軍団を率いていた。その勢いはとどまるところを知らず、東アジアを席捲、猛烈なスピードで領土を広げた。
一方、大倭も国内をより強固にするため、資源や技術を求めて、大陸を目指していた。その方法は、交易のみではなく、軍事行動も含んでいる。
南の韓半島へと勢力を伸ばす高句麗、韓半島を治めるために海を渡る大倭…この両国のベクトルは、時代の必然か…両国が衝突するのは火を見るより明らかであった。
魂をぶつけ合う男と男
国と国の戦争は、勝つか負けるか…。勝者が得るものは大きく、敗者は全てを失う。そのために国は総力を挙げ、強い武器、強い兵を求め、力で敵を殲滅した。
しかし己の欲望を満たすためだけに、敵を力で叩き潰す戦いは、やがて別の強い敵が現れ、次に己が叩き潰されるというエンドレスな戦いに繋がる。
そして、その戦いの後に残るのは、廃墟と疲弊した民たちの呻き声だけなのだ。
時の権力者たちの中には、その負の連鎖に気づき、その頑丈な鎖を断ち切ろうと立ち上がる者も現れる。
そして会ったこともいない二人の男たちは、やがて出逢うことになる。
聖帝への試練
韓半島を含む東アジアで覇を唱える高句麗王・談徳、大倭の皇子・鷦鷯(後の仁徳天皇)…、諸々の史書や考古成果から想像を膨らませると、少なくともこの二人は「戦の負の連鎖」に気づき、次の時代を見透していたように思えてくる。
「神を辞した倭王<下>」では、英雄とも言えるこの二人が、時代を生き抜くために繰り広げた壮絶な戦いと生き様を描いた。
神である大倭の大王にならざるをえなかった鷦鷯が、その宿命をどう受けとめたのか。鷦鷯が、数々の試練を乗り越え、どのように聖帝となってゆくのか、この小説ではその生き様を、敢えて「武」の視点から描こうと試みた
仁徳天皇陵は民苦渋の労働か?
後の世に聖帝と呼ばれ敬われた鷦鷯の大仙陵古墳(伝・仁徳天皇陵)、その規模は日本では群を抜き、世界の陵墓と比べても最大級を誇る。大手ゼネコン試算の総工費は副葬品を含めて八百億円以上。工期十五年強、建設に携わった人員のべ六百八十万人強という。
当時の人口が二百から三百万人と推定される、その数倍にものぼる人員が投入され、この陵墓は完成した。
さて投入された民は、いやいやながら参加したのか、それとも自ら進んで参加したのか…今となっては知る由もない。しかし仁徳天皇の父・応神天皇の御代、国内統一に加え海外遠征も行ったため、民は重い負担にあえぎ疲れきっていたに違いない。
その後、大王となった仁徳は免税措置や武力によらない海外交渉を行い、治水等の公共事業をせっせと行ったふしがある。そう考えると、大王の陵墓づくりは民救済の巨大な公共事業であり、陵墓そのものが民を潤す治水拠点だったのではないかとも思える。だからこそ聖帝と称えられたのではと…。
この小説を閉じた後、古代の息吹から今にも通じる心を少しでも感じて頂ければと願います。
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