著者:白石ポピー
¥360¥0

読み始めてすぐに、地元の喫茶店を思い出した。
寂れた商店街の裏側にある細い路地。
立ち並ぶスナックや立ち飲み屋の建物はどれも煤けていて、営業しているのか潰れているのか判別が付かない。日に焼けて色の飛んだポスターやメニュー表が貼られた看板の脇にある錆びた階段を上った先に、その喫茶店はあった。店内は意外にも広々としていて、カウンター席の左右に大小様々のテーブル席が並んでいる。一番端には一つだけ洞のような形になっている席があって、私はいつもその席で本を読んでいた。
平日の午後、店内に客は私しかいない。
背の低い初老のマスターはカウンターの中で新聞を読むか居眠りをしている。天井近くに取り付けられた箱型のテレビは決まって外国の古い映画を無音で流していた。晴れた日は窓から入る日光に頼って照明は点けない主義らしく、結果店内はいつも薄暗かった。あの店に行くときはいつも、晴れた平日の午後だったような気がする。居心地の悪い現実世界から自らを隔離するような心持で、私はあの店に通っていた。薄暗い店内の一番隅の洞に隠れるようにして文庫本の表紙を開き、非日常の世界に飛び込む。

「裂けよ、らうたし明朗の」

本作を読んでいる間、私はずっとあの店の洞の中にいた。
今からこの作品を読もうとしているあなたもきっと、あなたにとっての洞を思い出すだろう。この作品群は、誰にも邪魔されずに文章に没頭できる素敵な洞へあなたを連れて行ってくれる。奇妙で美しく滑稽で残酷な作品世界を、あなただけの洞でじっくり堪能して頂きたい。

文・小野木のあ

作品 
「イカ墨スパゲティを啜る女」/「啓蟄よ来るな頭から涌く」/「春霖を祈る」/短歌群Ⅰ/「明朗の胎動」/「胸キュン心不全」/「健全なるパン、健全なるサーカス」/自由律俳句群/「純喫茶 盗掘」/「明朗の黒」/「シロイルカ」/短歌群Ⅱ/「渇いた代わりに噛みちぎる」/自由律俳句群Ⅱ/「解剖台の傘」/短歌群Ⅲ/「秋と馬鹿」/「イワシ」/「フェニルエチルアミンの旗手」/自由律俳句群Ⅲ/「ギロチン係の遅刻で少し伸びた時間で」

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