著者:たっちゃん(岸本辰仁)
ページ数:84

¥299¥0

【プロローグ】

この本は私のサラリーマン時代、サラリーマン卒業後の日々の出来事をもとに、「人生100年時代」に、次世代が心地よく暮らせるようにという思いから筆をとりました。長文や短文、キーワードのみと変な構成になっていますが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

改めまして、こんにちは、沖縄予祝人(うちなーよしゅくんちゅ)たっちゃんです。この本を手に取ってくれてありがとうございます。

そうは言っても「たっちゃんって誰なの?」と思っていると思いますので簡単に自己紹介します。

1962年沖縄県生まれです。私は24歳の時、会社の倒産を目の当たりにしました。今はあまり聞かなくなりましたが「夜逃げ」です。

前日まで普通に会話していた社長とその家族が、一夜にして社長宅から消えてしまいました。

社長は叔父にあたり学生時代、私の家で下宿をしており幼少の頃から兄弟のように育ってきました。そんな社長が独立し頑張っている姿をみて共感を受けました。

事業を始めたばかりで軌道に乗らない時期、私は無料奉仕でお手伝いをしていました。

内容は建設業でしたので職人さんの送り迎えから残材の片付け、資材運びから簡単な施工まで行いました。会社の運営資金を回すために過剰な受注を行い24時間体制で工事を行ったこともあります。

そんな時、周りの友人はアルバイトの給料で楽しむ会話で華やいでいました。振り返ると無料奉仕で小遣いもなく、体も疲れきって大学の授業も中途半端な毎日を過ごす。

思い切って社長に相談しアルバイトを紹介してもらった。そこで出逢ったのが今でも尊敬するSU先輩です(私が37歳の時他界)。私に小売業の楽しさ、人と接することの楽しさを教えてくれました。

アルバイト初日、最初の仕事はお肉屋さんの対面のばっと(お肉を入れるもの)にベーコンが山盛り。責任者が「あなたの仕事はこのベーコンを全部売りさばくことです」の一言。焼かれたベーコンは食べたことはありますが、生のベーコンは初めてです。

売れと言われても、今まで建築屋の仕事しかやったことがなく、ましてはお客様と会話して物を売る経験は初めてです。当然私は棒立ち状態。

するとお客様から「お兄ちゃん、これ半斤ください」言われ更に唖然。

「これはベーコンだけど何言っているんだろう?」

お客様が「だぁ袋貸して」といって、自分でベーコンを入れて、「はいっ、量って」と。

「あいっ、まだ足りないね。もう少し入れようね」

そして量ると300gでした。その時初めて、『半斤=300g』ということを知りました。

このお客様に「今度は1斤お願いしますね」と言うと、「1斤はうーさん(多い)」と言われ、「お兄ちゃん今日からねー、可愛いねー」

これが小売業に入って最初の会話です。今まで味わったことのない何か新鮮な気持ちでいっぱいでした。

ベーコンの話に戻りますが、対面販売を行っているといろいろ勉強になります。

「お兄ちゃん、これいくらね」「どんなして食べたら美味しい」「消費はいつまで」などなど、お客様から様々な質問が飛び交います。

今日のミッションは山盛りのベーコンを全て売り切ることです。お客様の声を参考に会話しながら、事前にいくつか300gずつ袋に詰めてセルフで持ち帰るように準備し、美味しい食べ方をお伝えすると、飛ぶように売れました。閉店前にベーコンは完売、ミッション完了です。

その後は作業場の清掃が待ってましたが、なぜか全然苦になりませんでした。

待ちに待った給料日、涙が出るほど嬉しかった。(涙が出てたかも……)

初給料でビールを買い、朝まで今は亡き父親と飲み交わしたのを昨日のように脳裏に残っております。

アルバイト時代から負けず嫌いの気質で、先輩社員をさておいて前に出るタイプでした。

「ナンバーワンの売り子になる」というのが、私のモチベーションの支えになりました。

何か工夫すると実績は上がるが、手を抜くと思うように行きません、数値は嘘をつきません。そんな小売業がいつしか心の底から好きになっていました。

大学4年生の時、就職は叔父の建築屋に決まっていたため、就活はしませんでした。逆にアルバイトをいくつか掛け持ちしました。

昼は基地内でラッピングのアルバイト、夕方はスーパーのお肉屋さん、夜はビデオ屋さんと大忙し。その頃は体力的に一番調子の良かった時期だと思います。

大学卒業後、叔父の建築屋に就職しました。小売業とは180度変わり、先がなかなか見えない、結果がすぐ現れない。しかし与えられた試練だと思い何事にも一生懸命取り組みました。

入社2年目、ようやく仕事も少し覚えてきて、取引先や先輩施工者の皆さんに認められつつある時でした。

突然の夜逃げ。

「信頼していた人に裏切られた……」

事務机、事務用品、ソファー、冷蔵庫、事務所にあるものなんでもかんでも全て債権者が持ち出している。挙げ句の果てに新車同然の車まで持って行かれた。この事務所には何も残っていない。

絶望・脱落・対人恐怖・うつ状態(今までの苦労はなんだったのか……)

男23歳、心身ともに絶好調のはずのこの時期、俺は何をしているんだ……

そんな時、あるところで尊敬するSU先輩にばったり会う。

SU先輩「たーつー、仕事は順調か?」

私「倒産しました」

SU先輩「今、何している」

私「何もしてません」

SU先輩「じゃ、俺のところに来い」

たったこれだけの会話でしたが、体の力が頭のてっぺんから一気に足の先まで抜け落ちると同時に、涙が溢れてやみませんでした。

「ありがとうございます、このSU先輩のためなら、とことんやる!」みなぎるパワーが足の底から湧き上がる思いがしました。

そのあと、元のアルバイト先に中途で入社することができました。アルバイト当時の同僚は皆出世していました。2年のブランクの大きさをこれほど感じたことはありません。

「心機一転、一から出直しや!」

私の座右の銘「人間やる気、仕事も遊びも一生懸命」

アルバイト時代、最年少店長を狙っていましたが、大学卒業後叔父の建築屋に就職したため、その夢は叶いませんでした。

次なる目標は入社後最短で店長になること。どうすれば店長になれるか。常に勉強、先輩店長とのコミュニケーション、何と言ってもアルバイト初日のお客さまの声を思い出し日々の業務に邁進しました。諸先輩方のおかげで、1年半で店長に就任することができました。

35歳、新店開設委員長の辞令がおり、単身赴任で離島勤務。

当時3歳の長女、1歳の次女、妻との4人家族、赴任と同時に家族に異変が。長女が血小板の原因不明の病気を患い、期限不明の入院生活に入る。

月1回の店長会議にしか離島から戻れないため、なかなかコミュニケーションが取れない。特に次女は私とのスキンシップが取れないため、見えない分厚い壁があるようだ。

残された家族は病院暮らしの始まりでした。妻と次女は毎晩病院に寝泊まり、妻は朝になると家に帰り、家事や出勤準備と大忙し、そういう時そばにいられなかったことを今でも悔やんでいます。

新店開設で頭がいっぱいな一方で、家族のことが頭から離れない。心身ともにヘトヘトだ。

妻の頑張っている姿を思い浮かべ、私もがむしゃらに頑張った。

新店は無事オープンした。しかし、業績は計画には到底届かず、仕事と家庭、ダブルの重圧だった。

「今すぐこの島から逃げ出したい」と、日が昇るたびにそう思った。

そうこうしているうちに、また助け舟が現れた。もう一人の尊敬する先輩だ。

「たっちゃん、3ヶ月で黒字にしよう」と声かけられ、「よっしゃー」と決意しました。

やったことはいたって簡単、当たり前のことを具直なまでに徹底する。そして従業員とのコミュニケーション、ベクトルを一つに合わすこと!

目標は見事達成しました。真剣に向き合えば必ず助け舟がやってくることを実感しました。その後、社内の様々な部署、業務に携わることができました。

(中略)

長くなりましたが、私が社会人としての入口から卒業するまでのお話でした。

このあと、私がサラリーマン時代、そして、早期離職してセカンドステージで日々感じた独り言を書きました。

少しの間お付き合いください。

沖縄予祝人(うちなーよしゅくんちゅ) たっちゃん

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