著者:横木安良夫 + 7PHOTOGRAPHERS
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TERUYO FUKUMOTO MUTSUMI SATO TATSUYA SATO TERUMASA ARIMA
YUICHI OIDE YUTA HIRAKUBO YOSHINORI KAMEI ALAO YOKOGI
中野は訪れる前からその地名を知っていた。千葉間市川市生まれの僕は、総武線を利用していて、東京方面の終点がたいてい中野だったからだ。たまに三鷹行というのもあった。子供の頃、僕の東京の中心は銀座や日本橋だった。いや正直言うと、錦糸町が中心だった。当時、江東楽天地という歓楽街があり、封切りの映画はそこで見た。映画の前座のこまどり姉妹の実演や、なにより記憶のなかのNO.1映画、「ゴジラ」を見たのが錦糸町だ。恐怖の映画だった。ただ、ゴジラは銀座を目指し、国会を目指したことに安堵した。市川にはこない。
中学は、秋葉原と御徒町の間にあった練成中学に越境通学した。JRではなく国電の時代だ。当然、行き先表示はいつも中野だった。御茶ノ水の先、新宿の先。中野は随分田舎だと思っていた。
初めて中野を訪れたのは大学に入ってからだろう。同級生のたまり場だった家が沼袋にあり、クルマで中野ブロードウエイに行った。まだオタクの聖地でもなく、ありふれた商店街だったという記憶しかない。模型屋に行ったかもしれない。
中野といえば、中野サンプラザには10回以上行っている。プロになり仕事でライブの撮影をしたことも何度かある。僕にとって中野は点でしかなかった。特別変わったものがあるわけでもなく、撮影する場所ではなかったからだ。そういえば中野に、廃墟になった広々とした敷地の病院があった。だれでも簡単に入れた。そこで撮った写真も残っている。あの時代、日本中に廃墟がたくさんあったなあ。
今回、初めて中野駅周辺を歩いた。哲学堂まで足を伸ばした。どこまでも商店街が続き、わりと活気があることに驚いた。周辺に巨大なモールがないせいなのかなと思えた。僕の中野の印象は、それまでのいくつかの点でしかなかった中野が、人々が生活する面として感じられたことが収穫だった。
COVER PHOTO TERUYO FUKUMOTO
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