著者:秋本敏行
ページ数:36
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ヒマラヤ山脈を越えた先にある遥かなる別天地ラダック。そこは私が訪れた1985年8月の頃は中世から時代の流れが止ってしまったかのような不思議な世界であった。
人々は山岳地帯の乾燥気候などの過酷な環境の中でも、土地に昔から根ざした風習や信仰を脈々と、時代に翻弄されることなく続けている。そんな生き方を間近に見た私へ「人が生きるということ」を考える切っ掛けを与えてくれた場所にもなった。
インターネットが発達した近年、各地の情報がすぐに手に入るようになり、この原稿を書くために個人のホームページでラダック地方の現在の写真をかなり拝見させていただいたが、町の建物やゴンパがかなり綺麗に保全されているように見受けられた。
また、デリー方面からマナリ経由でヘミスから入る道路も開通したため、当時の最奥部が現在はラダックへの入口になっているということも知った。時の経過による町部での人々の生活様式はかなり変わってきているのかなとも思う。
今や路線バスによりシュリーナガル経由でラダックに入るというルートは時代に則さないのかも知れないが、路線バスでの移動の苦労をあえて楽しむとか、宗教や文化の移ろい、そして人々の生き方には多様性があるということを体感するのには面白いルートだと思う。機会があればまた乗りたい路線バスの一つではある。『ラダック』地方は、行政的にはインドのジャンムー・カシミール州に属しているが、チベット高原に流れを発するインダス河の上流に位置し、周囲を高い峰々に囲まれた土地で、宗教的にもチベット仏教圏であり、地形的にも文化の面でもチベット世界の一部といえる。
このラダック地方へ行くには、今でこそデリーから航空機でひとっ飛びするのが主流だが、1985 年当時は路線バスによって行くのが一般的だった。インド平原の街ジャンムーから1日で海抜およそ1,700mの避暑地シュリーナガル、そこで乗り換えて2 日掛けて海抜4,107mの峠を越えてラダックの中心地、海抜3,521m のレーに着く。本書ではそこからさらに、当時の旅行者が行けた最奥部の地ヘミスまでの車窓を辿ってゆく。
人々は山岳地帯の乾燥気候などの過酷な環境の中でも、土地に昔から根ざした風習や信仰を脈々と、時代に翻弄されることなく続けている。そんな生き方を間近に見た私へ「人が生きるということ」を考える切っ掛けを与えてくれた場所にもなった。
インターネットが発達した近年、各地の情報がすぐに手に入るようになり、この原稿を書くために個人のホームページでラダック地方の現在の写真をかなり拝見させていただいたが、町の建物やゴンパがかなり綺麗に保全されているように見受けられた。
また、デリー方面からマナリ経由でヘミスから入る道路も開通したため、当時の最奥部が現在はラダックへの入口になっているということも知った。時の経過による町部での人々の生活様式はかなり変わってきているのかなとも思う。
今や路線バスによりシュリーナガル経由でラダックに入るというルートは時代に則さないのかも知れないが、路線バスでの移動の苦労をあえて楽しむとか、宗教や文化の移ろい、そして人々の生き方には多様性があるということを体感するのには面白いルートだと思う。機会があればまた乗りたい路線バスの一つではある。『ラダック』地方は、行政的にはインドのジャンムー・カシミール州に属しているが、チベット高原に流れを発するインダス河の上流に位置し、周囲を高い峰々に囲まれた土地で、宗教的にもチベット仏教圏であり、地形的にも文化の面でもチベット世界の一部といえる。
このラダック地方へ行くには、今でこそデリーから航空機でひとっ飛びするのが主流だが、1985 年当時は路線バスによって行くのが一般的だった。インド平原の街ジャンムーから1日で海抜およそ1,700mの避暑地シュリーナガル、そこで乗り換えて2 日掛けて海抜4,107mの峠を越えてラダックの中心地、海抜3,521m のレーに着く。本書ではそこからさらに、当時の旅行者が行けた最奥部の地ヘミスまでの車窓を辿ってゆく。
目次
ラダックへのいざない…………………3
ヒンドゥスタン平原からジャンムーへ…6
ジャンムーからシュリーナガルへ……8
シュリーナガルからカルギルへ…… 10
カルギルからマルベックまで……… 18
マルベックからレーへ……………… 20
そしてラダックのこと……………… 28
あとがき……………………………… 35
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