著者:山崎 雅弘
ページ数:25

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2014年2月27日の早朝、黒海に突き出たウクライナ領南部のクリミア半島で、世界を驚かせる事件が発生した。

同半島の統治機構を担う、クリミアの中心都市シンフェロポリにある二つの建物に、数十人の武装した男たちが突入して占拠し、屋根の上にロシアの国旗を掲げたのである。

それから数日のうちに、クリミア半島の主要な軍事拠点は次々とロシア軍の支配下に入り、同半島の人口で多数派を占めるロシア系住民は、クリミアの独立とロシアへの編入を望むデモを繰り広げた。クリミア議会は3月6日、ロシアへの編入案を全会一致で可決し、3月16日に同半島で実施された住民投票でも、圧倒的多数がロシア編入を支持した。

これを受けて、ロシアのプーチン大統領は3月17日、クリミアを「独立国」として承認する大統領令に署名し、翌18日にはクリミアと同半島の南端に位置する重要な軍港セヴァストポリのロシアへの編入を決定して、議会に提出した。プーチンは、この日のうちにクレムリンで上下両院議員を前に演説を行ってクリミア編入条約の批准を議会に求め、演説終了後にはモスクワを訪問中のクリミア共和国首相らと共に、この条約に調印した。

こうして、ウクライナの領土だったクリミア半島とセヴァストポリは、覆面のロシア軍部隊によるクリミアの行政機構占拠からわずか19日間で、ロシア領へと帰属変更された。面積約2万7000平方キロ、つまりイスラエルの国土(国際的に未承認の実効支配下にある領域を含め約2万2000平方キロ)や日本の四国(約1万8000平方キロ)より大きなクリミア半島が、大規模な戦闘を一度も行わないまま、ほぼ無血でロシアに「奪い取られた」経緯は、近現代の紛争史の中でも特異な事例だと言える。

ロシアによるクリミアの併合は、国際社会で激しい非難を浴びる結果となったが、それでもプーチン大統領は意に介さず、今もなおロシア領として統治下に置いている。

それでは、プーチンはなぜ、クリミア半島のロシアへの編入という、外交上のリスクを伴う「賭け」に打って出たのか。その背景には、直前に発生したウクライナでの政変と、それに伴うウクライナの外交面での方針転換という政治的問題が存在していた。具体的には、ウクライナの「ロシア離れ」と「EUへの接近」である。

本書は、プーチン大統領を指導者とするロシアが、隣国ウクライナのクリミア半島を電撃的に支配し、自国に編入した背景と経過を解説した記事です。2016年5月、学研パブリッシングの雑誌『歴史群像』第137号(2016年6月号)の記事として、B5判15ページで発表されました。

ロシアとウクライナは共に、二〇世紀の大半の期間を通じて、超大国・ソ連(ソヴィエト社会主義共和国連邦)を構成する兄弟国のような関係にあり、クリミア半島の帰属は1954年にロシアからウクライナへと移管されましたが、実質的には両国が共有していました。しかし、一九九一年十二月にソ連が崩壊すると、両国の関係に変化が生じるようになります。

本稿では、2014年に発生したロシアのクリミア併合を中心に、それと前後して発生したロシアとウクライナの政治的対立と軍事的衝突にも光を当て、プーチンがいかなる思惑を抱いてこの決断を下したのかを、多面的に読み解いています。

《目次(見出しリスト)》

◆三週間足らずで成功したロシアのクリミア併合

《クリミア併合の序章・ウクライナ政変》
◆幾多の戦乱の舞台となったクリミア半島
◆ソ連崩壊後のロシアとウクライナの関係
◆反ロシア感情の高まりとウクライナの政変

《電撃的に進行した「クリミア独立」とロシア軍の動き》
◆クリミア喪失を危惧したプーチンの決断
◆併合の第一幕:セヴァストポリ市庁の掌握
◆併合の第二幕:クリミア半島の軍事的制圧

《クリミア併合の完成と東ウクライナ紛争》
◆併合の第三幕:住民投票に従うという形式でのロシア編入
◆ロシアのクリミア編入を阻止できなかった欧米
◆ロシア・ウクライナ紛争の東部ウクライナへの波及

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