著者:宮本正夫
ページ数:244
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目次
第一章 はじめに
第二章 シノプシス
第三章 経と論
第四章 感覚の世界とその幻覚性
第五章 実践:クン・スチンと臨済
第六章 おわりに
1.1. タイトルについて
「知的な仏教のすすめ」。変なタイトルかも知れない。私が数年前にアマゾンKindleから電子書籍として出版した本が「知的な英語のすすめ」。心理言語学等の知見を取り入れ、英語の「読む・聞く・書く・話す」の四スキルを、日々の生活のなかでどのようにして自然に培っていくべきかを解説したもの。それにならってタイトルづけしたのがこの本。科学性と実践性で、同じような特徴を持つ。先の本では、(英語を単なる記憶・暗記の対象として捉えるのではなく、)科学的な知見を踏まえながら、詳細に、人間言語としての英語の特徴を解説した。同様に、ここでは、(仏教を単なる信仰の対象として捉えるのではなく、)感覚・知覚を扱う科学にも触れながら、論理的に、仏教の芯の芯のところを解説する。更に、英語は学習者の日常でそれを自然に使っていく過程の中で習得されるべきもの。仏教も同様。日常で何ら特別なことをすることのない自然体の中で育まれるべきもの。これら二つの共通点をもって、先の本を真似、この本のタイトルを「知的な仏教のすすめ」とした。
副題は、テーラワーダ・禅・科学と直接に関わるこの本の内容を、的確に表す。(「上座部仏教」と訳されるTheravādaのtheraは「長老」、そしてvādaは「ことば」。すなわち長老達がブッダから直接聴き授かった教え。)テーラワーダ仏教は三蔵(Ti-piṭaka・three baskets)が土台。でもこの本が関わるのは、経と論。出家者達の戒律を扱う律には触れない。禅といってもここで指すのは臨済禅。臨済義玄(りんざい ぎげん ?-867)の語録として残されている「臨済録」が拠りどころ。科学といっても、引用するのは、主に、感覚心理学・知覚心理学。その基礎的な知見を、仏教理解の手助けとする。
1.2. 私自身について
簡単な自己紹介。私は東北大学の名誉教授。カナダ・ビクトリア大学のAdjunct Professor(非常勤教授)でもある。専門は心理言語学。言語学者である。宗教家でも仏教学者でもない。しかし二十歳代に八年間、タイ・スリランカなどでテーラワーダいわゆる小乗仏教の僧として出家生活を送った。良き師に出会い、仏教の真髄とは如何なるものかを教えられた。その師とはクン・スチン・ボリハーンワンナケーツ (Khun Sujin Boriharnwanaket.「クン」とはタイ語で「さん」の意味)。今はもう九十に達するタイの在家女性。アビダルマ(論)を理論的背景に、「各自の日常生活のなかで、修行めいたこと・特別なことを微塵たりとも為すことなく、仏教を実践し・智慧を磨くべき!」と唱える説教師。彼女とは異なり、私には悟りめいたものなどない。しかし、私自身は、ここで、日常禅の極みである臨済禅、および、科学的な知見にも触れながら、仏教の芯の芯と思えるところを語る。
大昔、大学生時代に「臨済録」を読み、何のことかまったく理解できなかった。後にクン・スチンに出会い、カタチは異なるが、臨済禅とテーラワーダ仏教とが、その芯とその実践性において、何ら異なるものでないことを見せられた。還俗後、カナダで二十四年間アカデミック生活を送るなかで、心理学・脳科学などにも興味を抱くようになった。このような私なりの経験・人生をふまえ、ここで、仏教の真髄とその日常での実践について語る。
こと仏教の真髄に関しては、副題が示す三本のビームを投射させながら、仏教の芯のところを説く。しかし、その何れにおいても基礎の基礎に触れるのみ。それら三本に接する中で、「『今・ここで』の世界」、すなわち、「現象の世界」の意義を理解してもらう。
こと仏教の実践に関しては、日々での生活をおいて、すなわち、今・ここでの瞬時をおいて、他に実践の場はない!とのところを理解してもらう。仏教に興味を抱く者が、そのことをわきまえることなく、人生の毎秒・毎秒をやり過ごすのは、マコト、もったいない。その「もったいなさ」を知ってもらいたいが為に、仏教の真髄のみならず・その実践についても語る。そうすることが、私の「義務・使命」と思えてならないからだ。
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