著者:MASA
ページ数:111

¥1,079¥0

この小説は事実にもとづいた物語である。アメリカ社会の中であまりに周囲が自分を無視するので、自らを「透明人間」と自嘲し悩んでいた上川一秋は、自分の英語の発音に原因があるとの仮説のもと、妻ジーナとともにネイティブ発音の核である二大要素の存在を発見する。
その発見を自らの英語の発話に取り入れだすと、周囲の上川に対する接し方が一変し、ほどなくアメリカ社会に完全に溶け込めた経験により、発見の正しさを身をもって証明する。そして彼らは日本人が、英語ネイティブと対等なコミュニケーションが取れることを願い、試行錯誤の闘いを通してメソッドを体系化し、学習書籍として世に送り出した。
上中下3巻構成で読み進めながら「英語喉」つまり「ネイティブメソッド」のアウトラインも理解できる、史上初の英語学習小説でもある。

『喉の旅 上』

冒頭章「木中の花」第1節「透明人間」を全文掲載

今日はこれでもう30分以上、誰もこちらを向いてくれん・・・今日の会議に参加しているメンバーは10人だよな?
おれって何者・・・みんなおれが見えないのか?

まるで会議室に8人の男女アメリカ人とひとりの中国人・・・その9人しかいないみたいに、一切おれ抜きで議論が進んで、意見が交換されている・・・

故郷広島から遥か遠く離れたアメリカ合衆国ワシントンDCの、トーマスジェファーソン通りを見下ろすNorth American Research(NAR)本部ビルの中にある小会議室の片隅で、生来楽観主義者であるはずの上川一秋が溜息を漏らしつつ思った。

これは透明人間だ、まるで・・・いや、本物の透明人間なら、嫌な場所から気兼ねせずに去ることができからいい・・おれは居づらくても最後までいないといけないんだからな・・・

上川はこの状態がいつまで続くのかを考えると気が滅入った。いつもこうなのだと彼が感じるのは、決して思い過ごしではない。
議長である彼の所属部署のボスからして、こういう会議の場でメンバーの顔を時折見渡す時に、上川の方を見る回数が何故かいつもあまりにも少ないのだ。彼はこの事を「注目の不公平」と名付けていた。

そう名付けるに足るぐらいの不公平感に苛まれていたのだ。しかもその不公平感はボスだけに感じるのではなく、日常を通してほとんど全てのメンバーに感じられたのだ。

おれの英語が稚拙だから?いや・・・それは違う・・・
彼のその自己分析は妥当だ。
日本にいる時に取得した英語検定一級 、TOEFL640点という彼の成果が裏打ちする英語というものへの自信は客観性があり、決して過信ではないと言えよう。

大学時代にはJUEL杯という全国ESSの英語弁論大会に出場して、全国優勝を果たしたこともある。事実彼はアメリカ人の英語であれば、社会人になる前には殆ど理解出来るレベルに達していた。

じゃ、一体どうゆう訳だ?
思いたくはないが「人種差別」と言う言葉すら上川の脳裏をよぎった。
いやいや・・・違う・・・・同僚の李君は中国人だけど、ボスや他のメンバーの李君への態度は、彼らが同胞に接するときの態度と全然変わらない・・・じゃ、なんでおれだけが・・・
上川は広島県豊田郡(現・東広島市)安芸津町に 生まれ、同志社大学の英文科を卒業した後、大阪市内の高校で英語教諭を務めた。
その後1994年に単身アメリカに渡り、イリノイ州のシカゴ大学の大学院にて社会学の博士号を取得する。
そして南フロリダ大学の研究員などのいくつかの職務を経験した後に現在の職場、NARでリサーチアナリストとして働いている。

彼の専門は教育社会学と教育統計分析だ。そうやって英語力で切り開いてきた自らの来し方を振り返るに連れ、上川の不満は募るのだ。
こんなに自分は英語が普通に使えるのに、なぜ無視されるのか・・・英語力が足りないのなら仕事で相手にしてもらえなくとも仕方ないだろう、実力社会だからな、この国は・・・でもおれの英語はそうではないだろ?

彼は統計やデータ分析という、国籍や母国の文化に全く関係のないことをやっていたために、つまり日本と関連性がない仕事そして就職先を選んだので、結果として有無を言わさずアメリカ社会のど真ん中に放り込まれた。

それ自体はいいのだが、そのなかで自分は英語がちゃんとできるのになぜ透明人間扱いなのか、何故無視され続けるのかが彼の半生における最大のジレンマだった。
これが日本に関連がある仕事をしていたり日系の企業であれば、同僚や上司がアメリカ人であっても日本に理解を示す者が多いだろうし、透明人間扱いは経験しなかったかも知れない。

上川が腑に落ちないと感じるのは、例えば同僚でそれなりに親しいアメリカ人ケヴィンと1対1でなら全く問題なく会話が成立する。一方、同じく同僚でヨーロッパ系の英語ネイティブであるローランドとも上手く話せる。
それなのにその3人、上川、ケヴィン、そしてローランドの3人で会話をすると状況は一変するのだ。実際、昨年の会社の謝恩会の時に彼は、生涯忘れ得ないだろう屈辱の時間を経験した。

その時上川はケヴィンと親しく喋っていた。そこにローランドがやってきた。するとあろうことか、ケヴィンとローランドは上川の存在を完全に無視して喋り始めたのだ。
おそらくもし彼がその場から立ち去っていたとしても、二人ともそれに気付きすらしないであろう勢いだった。

またある時には、とある案件の指示を仰ぐために上川とアメリカ人同僚コルトンの二人でボスの所へ行ったら、ボスはコルトンの方だけを見て実に20分以上しゃべり続けた。
さすがに悔しくて意気消沈しつつも、上川はその後コルトンが必要な書類を自分のデスクに取りに戻った時にボスに単刀直入に聞いてみた。
「What do you think of my English?(私の英語をどう思われますか?)」
「Your English? I think I understand you…. So?(君の英語?言 ってることは分かるよ・・・・それで?)」
上川は自分の英語がネイティブと同じだとばかり思っていたので、さすがにボスのこの淡白な反応はショックだった。

さらに輪をかけてショックだったのは、その後にコルトンと二人になった時に同趣旨の質問をした時に彼に言われた言葉だ。
「You don‘t have to worry. Your English is fine. Well, to be honest, sometimes I can’t hear your L and R . (君の英語はちゃんと通用するから心配ないよ。ええと、正直言えばLとRが聞こえない時がたまにあるぐらいかな)」
そう言われてみれば、上川自身はネイティブの発するLとRの聴き分けが出来ない時が度々あった。でも自分の発音自体は出来ていると思い込んでいたのだ。

またある時には、会社の同僚アメリカ人男女6人と共にランチに行った。そんな折には透明人間扱いされるのが分かっていたので、なるべくそうならないよう、少なくともなり難いように真ん中に座ってみた。
すると上川の右側が談笑のグループを形成し、さらに左側が別の談笑グループを形成した。彼らの顔を一人ひとり見ても、誰一人として上川の方を見て喋る者はいなかった。彼は完全にぽつんと一人取り残された訳だ。

おれが今、ここで消えてきっと誰も気付かないだろうな・・・・・
そう思うと上川は悲しさと悔しさを通り越して・・・不条理さえ感じた。

過去のその類の嫌な思い出が湧いては消え、また湧いてはこの小会議室のアイスグレーの壁に溶け込んでは消え、そうこうしている間に彼の本日の会議における透明人間のお務めは1時間の長きに渡った。
そして一言も発言する機会のないまま会議は終了した。

その夜、上川はジーナに、いつになく深刻な面持ちで問うてみた。
「How is my English different from native speakers ’?(おれの英語はネイティブスピーカーの話すやり方とどう違うと思う?)」
その時の彼の心境はと言えば、透明人間の状態は彼自身を取り巻く「日本と全く関連のない職場と言う背景」から生まれる特殊な状態からだと思いたかったのだ。

自分の英語力も否定したくない。かと言って人種差別とも違うと思う。
五里霧中とも言える彼の社内における存在意義は、仕事のスキル以前の問題だ。
こいつを解決しない限りこの地で暮らしてゆくための燃料は、早晩枯渇するかも知れないという、どす黒い恐怖が忍び寄ってくる。

限界に達したその日の、ジーナとの夕食の話題がそれだ。
上川のいわゆる国際結婚をした相手、妻であるジーナはオハイオ州に生を受けたグラフィックデザイナーであり、もの書きであり、ダンサーでもある根っからのアーティストだ。
しかしその感性は芸術の分野だけに留まらず、マーケティングの分野でも威力を発揮していた。

実際、多国籍企業の宣伝活動の分野で10年を超える彼女のその方面のキャリアは生半可では不可能だ。
そのジーナがアメリカ社会に順応しようともがく一日本人男性上川の、想像を絶する苦悩を初めて赤裸々に聞き、少なからず驚いた。
そして同情とか感傷とは縁遠い、力強いジーナの探求心と知的好奇心が鎌首をもたげた。

その日、答えが全く見えない難問の、しかしきっと存在する筈の答えを探し求める彼らの、文字通り試行錯誤の探求が緒に就いた。

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