著者:清水 純子
ページ数:53

¥2,500¥0

私たちが一日に何度となく誦むアル・ファーティハ(開端章)。クルアーンのはじまり。ムスリムが始めて覚えるひとつの章。

何度も何度も誦むので、頭でなく口が覚えてしまっている。意味も一応分かっているはずだけど・・・

実は深~い意味が含まれているのです。

シリアの宣教家サイイド・ハウワー著「基礎章の解釈」(アラビア語)のインドネシア語版から、開端章(アル・ファーティハ)の部分のみを日本語で紹介しています。

「サイイド・ハウワー」について

小松久雄・小杉泰編『現代イスラーム思想と政治運動』東京大学出版会、巻末付録の略歴前半部より。

サイイド・ハウワー(1935~1989年)

シリア出身の改革派イスラーム思想家。シリア・ムスリム同胞団の中心的イデオローグの一人。ハマーに生まれ、10代で同胞団に参加し政治活動を開始する。ダマスカス大学のスィバーイーのもとでイスラーム法学を修めた後、バアス党政権による世俗国家建設に対する抗議を繰り返した。5年間の獄中生活の後、70年代後半からは同胞団のイデオローグとして活躍し、シリア国内のイスラーム諸勢力を糾合したシリア・イスラーム戦線の結成やシリア・イスラーム革命宣言および綱領の発表にたずさわった。バアス党政権との抗争のなかでは、スーフィー教団とも積極的な関係を築く。

「目次」
はじめに
書籍のプロファイル
インドネシア語版のデータ
アラビア語原著のデータ
著者サイイド・ハウワーについて
開端章(アル・ファーティハ)
章の解釈
1.段落について
2.はじめに
3.開端章のいくつかの解釈
4.一般的かつ広義的意味
5.文字どおりの意味
6.いくつかの問題
7.いくつかの教訓と熟考
8.章の文脈についての説明
おわりに
私の紹介
【SNS等】

開端章(アル=ファーティハ)はバスマラと(バスマラは一つの節と見る見解に従うと)、三つの段落から成り立っています。一段落目は三つの節、二段落目は一つの節、三段落目はバスマラが一つの節とは考えない意見によると三つの節、バスマラが一つの節と考える意見によると二つの節からから成り立っています。以上のようなことに注意して、次の開端章を見てみましょう。

1.慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
2.万有の主、アッラーにこそ凡ての称讃あれ、
3.慈悲あまねく慈愛深き御方、
4.最後の審きの日の主宰者に。
5.わたしたちはあなたにのみ崇め仕え、あなたにのみ御助けを請い願う。
6.わたしたちを正しい道に導きたまえ、
7.あなたが御恵みを下された人々の道に、あなたの怒りを受けし者、また踏み迷える人々の道ではなく。

イブン・カシールは言いました。「この章は、クルアーンの最初にあり、礼拝のはじめに読むことから、開端章といいます。イスラーム学者の大多数の間では、ウンム・アル=キターブ(書の母)として知られています。アル=ハムドゥ(称讃)ともいわれます。また、開端章の別名は、アッラーのみ使いSAWの彼の神による次のような御言葉がもととなって、「アッ=サラー(礼拝)」といいます。

「われは礼拝を二つに分けた。すなわち、われとわれのしもべの間に。もししもべが、『凡ての称讃は大自然の神アッラーにあると』言えば、アッラーは『われのしもべはわれを称える。』と仰せになる。」

開端章はまた、アブー・サイードが伝えたアッ=ダーリミーのハディース・マルフーゥ(主題の発言者或いは行為者が預言者様であるハディース)「開端章はすべての毒を消す薬である。」がもととなって、「アッ=シィファー(治すもの)」ともいわれます。
また、アブー・サイドが伝えた真正ハディースから、アル=ルクヤ(まじない)ともいわれます。彼が、動物の針に刺された一人の者に出会った時、アッラーのみ使いSAWは彼にこう言われました。「開端章がまじないであると、誰があなたに教えたのか。」
イブン・アッバースが伝えたアッ=シャァビーのハディースによると、彼は開端章はクルアーンの精髄であると名づけました。彼は「開端章の精髄はビスミッラーヒ・アッラフマーニッラヒームです。」と言いました。スフヤーン・ブン・ウヤイナは開端章を「アル=ワーキヤ(保護するもの)」と名づけました。一方、ヤフヤー・ブン・アブー・カシールは「アル=カーフィヤ(十分なるもの)」と名づけました。開端章は、いくつかのハディース・ムルサル(伝承者の鎖が切れているハディースのうち教友の部分に相当する鎖が切れているハディース)にあるように、何も付け加えないでも、既に完璧だからです。例えば次のようなハディースがあります。「クルアーンの母(開端章)は他の章の替わりになるが、他の章はこれの替わりにはならない。」
その他に開端章はまた、礼拝章ともいわれ、これはアッ=ザマフシャリーが彼のクルアーン解釈書「アル=カッシャーフ」のなかで述べているものです。
開端章はマッカで下ったというのが定説で、七つの節から成り立っているということに異論はありません。しかし、バスマラについては、独立した節である、或いは一節の一部である、または開端章の節では全くない、などと意見の相違があるのです。
イブン・カシールは「彼らは、開端章は25単語、または113文字によって構成されている、と言っている。」と言っています。ブハーリは彼の解釈の冒頭で「開端章は、書の母(ウンムル=キターブ)といわれる。クルアーンが開端章によって始まり、開端章は礼拝の始めに誦まれるからである。このことはつまり、クルアーンのすべての意味が開端章に込められているからそう名づけられた」と言っています。

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