著者:内田 陽雄
ページ数:119
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1960年、武田俊造は一浪して早稲田大学第一文学部露文専修に入学した。もし現役なら1959年に入学出来たはずだ。
俊造は露文科に入ったら、すぐにロシヤ文学とロシヤ語を勉強し、クラブ活動に精を出し、奨学金をもらい不足はアルバイトで補う計画を立てていた。ところが1960年に入学したために、政治運動にまきこまれて最初から計画が狂った。もし現役で1959年に入学していたら、入学直後に政治運動にまきこまれることなく、自分の計画どうりの大学生活を始められただろう。1960年1月に当時の岸内閣総理大臣が渡米して日米間の改定安全保障条約に署名してきた。この条約は1950年日本が第二次大戦後に独立と同時に米国と結んだ日米安全保障条約を改定して改めて日米条約を結ぼうとしたもので、反対も多いなか、岸首相が強引ともいえる手法で国会批准を得ようとしたために、反対運動が起こり、俊造が早大に入学した1960年4月には反対運動の波は既に大きくなりつつあった。全学連は主流派と反主流派に分かれて各大学の学部争奪戦を繰り広げていた。早大第一文学部は反主流派の民青が主導権を握って、国民共闘会議の一員としてストライキとデモンストレーションを繰り返していた。露文科一年のクラスでは、ストやデモのたびに授業をつぶして討議しクラスとしてどう対処するか採決した。俊造はロシヤ文学を学ぶために一堂に会した学生なのに政治運動のために決を採るのはおかしいと反対し最初のうちはデモにも行かず、クラブ活動として入った劇団こだまの稽古に力を注いだ。ところが岸首相の政治行動が目に余ってきたので、安保は社共産主義をひととおり勉強もした上で、ついにデモに参加する決意をした。俊造はそれでも、政治運動より自分の生活が先だという態度は変えなくなかったので、ジレンマに陥りつつ大学生活を始めることとなった。
俊造は露文科に入ったら、すぐにロシヤ文学とロシヤ語を勉強し、クラブ活動に精を出し、奨学金をもらい不足はアルバイトで補う計画を立てていた。ところが1960年に入学したために、政治運動にまきこまれて最初から計画が狂った。もし現役で1959年に入学していたら、入学直後に政治運動にまきこまれることなく、自分の計画どうりの大学生活を始められただろう。1960年1月に当時の岸内閣総理大臣が渡米して日米間の改定安全保障条約に署名してきた。この条約は1950年日本が第二次大戦後に独立と同時に米国と結んだ日米安全保障条約を改定して改めて日米条約を結ぼうとしたもので、反対も多いなか、岸首相が強引ともいえる手法で国会批准を得ようとしたために、反対運動が起こり、俊造が早大に入学した1960年4月には反対運動の波は既に大きくなりつつあった。全学連は主流派と反主流派に分かれて各大学の学部争奪戦を繰り広げていた。早大第一文学部は反主流派の民青が主導権を握って、国民共闘会議の一員としてストライキとデモンストレーションを繰り返していた。露文科一年のクラスでは、ストやデモのたびに授業をつぶして討議しクラスとしてどう対処するか採決した。俊造はロシヤ文学を学ぶために一堂に会した学生なのに政治運動のために決を採るのはおかしいと反対し最初のうちはデモにも行かず、クラブ活動として入った劇団こだまの稽古に力を注いだ。ところが岸首相の政治行動が目に余ってきたので、安保は社共産主義をひととおり勉強もした上で、ついにデモに参加する決意をした。俊造はそれでも、政治運動より自分の生活が先だという態度は変えなくなかったので、ジレンマに陥りつつ大学生活を始めることとなった。
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