著者:藤掛庄市
¥100¥0

 『私の履歴書』第12部は、西ドイツ滞在から La Jolla 経由で帰国した 1976年10月初めから、1978年3月末までの一年半の記録です。
 後から振り返ると、この期間は、私の『ひとすじの道ー英語教育と国際交流』のエポック・メイキングになった時期でした。
 先ずは、私の最初の著書『英語教育の変革』(SF Prerss 1970)と、1976年度に、『現代英語教育』誌に一年間連載した「英語教育モジュラー・システム」が、当時の文部省研究助成課長の手塚先生(なぜ先生かは、本文中に記してあります)の目に留まり、1978年度の文部省特定研究「言語」の研究班の一つに選ばれたことです。
 カリキュラム開発には、理論だけでなく、実際に教え・学ぶための教授材・学習材の開発が必要です。それは、一人で出来ることでなく、またそれらの作成のための機器・道具や材料が要ります。それらの購入には金が要ります。
 1978年度に卒業要件が、卒業論文でなく、卒業研究となったことで、英語教育を卒業研究として選ぶ4年生に、個々に
 卒業論文を書かせることなく、グループ活動による卒業研究を行わせることができるようになりました。そして、卒業研究の一環として、多種多様な教授材・学習材の開発・製作にグループで協働して携わらせることができました。その「モノを作り出す」グループを SF Production と名付けました。1978年は、SF Production 元年でした。
 1977年に San Diego State University を訪れた際に、非公式ながら岐阜大学との留学生交換を行うことを Dr. McLoud 教授と協議しました。その計画が実現し、岐阜大学から、文部省の教員養成大学・学部留学生制度による国費留学生を一人送り出し、またSan Diego State University からは3人の留学生を受け入れました。これは、ある意味、私一人が勝手にやったことでしたが、その後正式の交流計画に発展しました。これまでの、私の国際交流・国際交友は、私個人に限られたものでしたが、1978年は、それを大学間、さらにその後の民間、市町村間国際交流に発展するさきがけでした。そういう意味では、本来あるべき私が目指す国際交流の元年でもあったわけです。
 今ひとつの元年ともいうべきことがありました。本文中に詳しく紹介してありますが。1978年初頭に、東海女子短大が、4年制東海女子大学の設立をめざすにあたって、どのような学部を設けるべきか、私に相談がありました。その時、私が提案したのが、当時はまだ目新しかっただけでなく、だれも構想したことのなかった「国際教養学部」でした。残念ながら、担当者の無能・無力で実現しませんでしたが、この構想によって、国際交流には、豊かな国際教養が必要だということに改めて目覚め、これより後、私自身の国際教養を磨く努力に励むことになります。そういう意味で、1978年は、私の国際教養元年でもありました。
 というわけで、1976年後半から1978年にかけては、私の「ひとすじの道ー英語教育から国際交流」の epock making の年で、第12部として独立して出版することにしたわけです。

シリーズ一覧

  • 同シリーズの電子書籍はありませんでした。

 

  Kindle Unlimitedは、現在30日間無料体験キャンペーンを行っています!

この期間中は料金が980円→0円となるため、この記事で紹介している電子書籍は、すべてこのKindle Unlimited無料体験で読むことが可能です。

Kindle Unlimited 無料体験に登録する