著者:まいるす・ゑびす
ページ数:227

¥620¥0

 ある日、僕はバイロンベイの外れにあるマランビンビーというヒッピータウンの楽器屋さんへ行ったのです。当時僕はナイロン弦のちょっと小振りのギターを持ち歩いていたのですが、ニカラグアで150ドルで購入したこのギターにはフィッシュマンというまともなブランドのピックアップが内臓されていて、しかもチューナー機能まで搭載されている優れものでした。とても重宝していたのですが、このギターにはストラップを付けるためのピンが付いていなかったので、立ったまま演奏するのがとても困難でした。この問題を解決してもらうべくして、僕は楽器屋さんを訪れたのです。

 それは何でもない平日の昼下がりでした。むき出しのギターを片手に小さなその楽器店に入ると、平日の昼間にふさわしく客は僕以外にはいませんでした。店のカウンターには一人の年配ヒッピー風なロングヘアー男性店員がいるだけで、控えめに見ても忙しそうには見えません。カウンターの男性に僕は言いました。

「このギターにストラップピンを付けてもらいたいのだけれど。」

 僕が自分のギターを彼に見せながらそう言うと彼はストラップピンをいくつか取り出して見せてくれました。選択肢はほとんどありませんでしたが、どれでも一つ10ドル、ということでした。しかし、ストラップピンを買ったところで、これを取り付けるために必要な工具を僕は持っていなかったため、ピンを取り付ける作業もお願いしたい、ということを僕は店員のロングヘアーヒッピーの男性に伝えました。

すると彼はこう言いました。

「もちろん、いいよ。作業工賃は20ドルになるけどいいかい?」

 ピンが10ドル、作業工賃が20ドル、合計30ドルのお仕事ということです。しかもピンを電動ドライバーで取り付けるだけなので、ものの30秒もあれば終わる作業なのです。僕はそれで構わない、ということを彼に伝えました。すると彼はこう言いました。

「オーケー、すぐにやってあげるからちょっと待っていておくれよ。ただ、俺は今そこのお店でコーヒーを買って来たばかりなんだ。せっかく買って来たコーヒーだから、おれはこれをまずは楽しみたい。だから20分ほど待っていてくれないか?」

 僕は待ちました。たっぷり20分ほど。彼がコーヒーをおいしそうに、そして楽しそうに飲むのを見ながら。彼と雑談をしながら。せっかく買って来たコーヒーだというのも、それを楽しみたい、というのも気持ち的にはよく理解できましたから。

 そしてコーヒーを飲み終えた彼は、電動ドライバーを取り出すと、ストラップピンを一撃で僕のギターのボディーの裏の部分に打ち付けてくれました。想像していた通り、30秒で終わる作業でした。僕は30ドル支払い、お礼を言ってお店を出ると、彼は僕に「どういたしまして」と笑顔で明るく言ってくれました。

 お客様は神様です、という概念が根付いてしまった日本ではなかなかありえない境遇ですが、ゆるりと流れるオーストラリアの時間の中ではそれがまるで不自然ではなくて、逆に僕にとっても新鮮で、全然嫌ではなかったのです。オーストラリアでは店員さんもお客さんもただの人間です。お金のやり取りがあるにせよ、ないにせよ、それは人と人とのコミュニケーションの一貫であり、それ以上でもそれ以下でもないのです。

 人はどこまでも人らしく、カンガルーやコアラや牛たちはどこまでも動物らしく、自然はどこまでも荒々しく、そんなオーストラリアの大地をバイロンベイからケアンズまで1500キロの道のりを僕はパスタ号と共に北上しました。途中、何もない山道で車ごと泥にはまって動けなくなり途方に暮れたり、レインボーギャザリングでヒッピーたちと共同生活をしたりしながら人生初の車生活、というのに僕は少しずつ馴染んでいったのです。読み返してみると、いたって人間らしい気持ちを持って毎日の生活に挑んでいた軌跡が感じられ、日向と日陰の気温差が激しすぎるオーストラリアの日々が懐かしくも生々しく再現されるかのようです。

 2000ドルで購入したフォード製のステーションワゴン「パスタ号」に持ちうる全てを詰め込み、町でギターを弾いては歌うバスキングの日々でした。ギターも車も僕も何もかもポンコツでしたが、人はどこまでも人らしく、僕はどこまでも僕らしく、それなりに満ち足りていて、だけど同時に僕なりの不自由を抱えていた、思い返すとまるでおとぎ話のようにすら思える、これはかつて僕だった日々の轍です。

 それでは引き続きオーストラリアのお話をどうぞ!

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目次

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旅と英語とギターと仕事 オーストラリア放浪記2

バイロンベイ・サーファーズパラダイス・レインボーギャザリング・ケアンズ・キュランダ・ポートダグラス・イニスフェイル

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ギタリストの現実

はじめに 

第一章 サーファーズパラダイス

『そしてゴールドコーストへ』
『サーファーズパラダイス/再会』
『アボリジニの君臨/カラーラマーケット』
『キレイな石は足もないのに世界中を飛び回ってエラいと思う』

第二章 カムバックトゥバイロンベイ

『ラコナマステバイロンベイ』
『思いがけない物々交換』
『ルールは守るよりも作るほうが難しい』

第三章 サンシャインコースト 再び

『サンシャインコースト再び』
『平和な日々』
『雑草から学ぶこと』
『観光ビザの延長』
『今日もいい天気。空が青い。』
『アナザーカオルとの遭遇』
『泥にはまったパスタ号・レインボーギャザリングへ』

第四章 レインボーギャザリング

『せめて駐車場で文化的な暮らしを営みたい』
『生シバ屋ー』
『シットピットとは/滝へ』
『昔のオーストラリアは生きていくだけでも難しかった』
『脱出ミッション失敗/愛は伝染する。』
『原始人生活の終焉』

第五章 ケアンズまでの道のり

『北へ北へと』
『ヤプーンへ』
『ヤプーンからエアリービーチへ』
『エアリービーチからミッションビーチへ』

第六章 ケアンズ

『ついにケアンズ到着!』
『ラスティーマーケット』
『オープンマイクとか』
『人間とは進化する猿である。』
『オーキッドプラザとかケアンズセントラルとか仕事とか』
『Havana Cafeで飛び入り演奏/なんでそうなるかなんて重要じゃない。」
『キュランダマーケット』
『スミスフィールド/ケンジといういい加減な男』
『しゃべれどもしゃべれども』
『Athertonへドライブでひげダンスな一日を』
『大掃除!バーベキュー!パスタ号故障!』
『掃除の続きとか』
『カレーの日再び』
『グレートバリアリーフでダイビング/アフリカバンド』
『エスプラネードマーケット』
『オーマイジープ!/ヨガDays』
『仕事とかヨガとか』
『女につける薬/サングリア』
『禁煙の決意』
『頭の中がカユいんだ』
『サングリア&ホームパーティー』
『二日酔い/星の巡礼』
『息子三人が一緒に演奏する動画を母親に誕生日プレゼントとして送る。』

第七章 ブッシュウィーク

『山火事を越えていこうじゃないか』
『薪割り用の斧を持つとやる気になる不思議』
『滝へ/ザ・リターン・オブ・笑顔が戻るその日まで』
『Kashiとの遭遇/理論は破るためにある。』
『自分一人くらい死なないようにするのは難しいことじゃない』
『上弦の月を喰べる獅子』
『ブッシュウィーク終了!』
『アボリジナルは一つの民族じゃない』
『クックタウンのタイクツとポートダグラスのケバブ』

第八章 ケアンズ再び

『エロのエネルギーを使って発電出来ないものか?』
『なめ茸入りパエリア/UFOの存在』
『キュランダルーツ初日!』
『キュランダルーツ二日目!』
『再びケアンズへ』
『ラブレターを書く、ということ』
『世界で一番コンドームの消費量が多い国:日本』
『バスキング/ミュージシャンの社会的地位』
『TKG Breakfast/風呂掃除プロジェクト』

第九章 ポートダグラス

『僕が誰かなんて僕以外の人が勝手に決めてくれたらいい』
『東京から5775キロ』
『ポートダグラスマーケット/ヨーロッパ退屈日記』

第十章 ケアンズ三たび

『ケワラビーチでお好み焼きパーティー』
『居候兼ドライバーな日々』
『ミュージシャンなんて近所の猫みたいなものだ。』
『カレーとの対話。』
『ライフハッカー三周年/満月とビーチと白ワイン』
『ミックスベリーパンケーキ/意味のない話は仲の良い人たちとしか出来ない』
『芸術と青春とタカミー基準』
『ココナツカレー再び/シンゴは南から』
『百年前、千年前、一万年前、そして百万年前の人』
『僕らがラーメンを食べ逃したわけ/シェアハウス巡り』
『ケワラビーチ再び/がんばらんばの金玉』
『蝶は意外と高く飛ぶ/Kanpaiでカラオケ』
『キュランダで蝶について考えるなど/タカシ来る』
『さらばケアンズ/海老御殿へようこそ』

第十一章 イニスフェイル

『娘の誕生日には滝をあげよう/パロネラパーク』
『絶滅危惧種カソワリーとの遭遇』
『ホンワカパッパ ホンワカパッパ ボーイズデー』

シリーズ一覧

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