著者:山本周五郎
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本書は「山本周五郎 全集未収録作品集3 修道小説集」を電子ブック化したものである。初版発行は昭和47年10月15日、発行所は実業之日本社、カバーは電子ブック用に新しく制作した。
本書にあつめた十編は、昭和十年から戦後の昭和二十七年の間に発表された。これらの作品は今日でも再読三読に耐える水準を保ち、普遍なる人間像を、永遠の追究課題とした作者の志操と技術が、すでに確固たる域に達している。この作品集を『山本周五郎修道小説集』としたのは、「金作行状記』『与茂七の帰藩』『山だち問答』『一領一筋』『似而非物語』などのように武道の、また『羅刹』のように芸術の修業が主題になっているためである。
収録した作品は、『癇癪料二十四万石』、『金作行状記』、『烏』、『与茂七の帰藩』、『与之助の花』、『山だち問答』、『一領一筋』、『羅刹』、『半之助祝言』、『似而非物語』の十編。
十編の収録作品のすべては、講談社、新潮社の山本全集に未採録のものであるが、このうち『癇癪料二十四万石』『金作行状記』『烏』『似而非物語』の四編は、山本さんの生前に刊行されたどの小説集にも収められたことがない。また発表年月も昭和十年五月の『癇癪料二十四万石』から昭和二十七年七月の『似而非物語』に至る十七年間にわたっており、日中戦争、太平洋戦争、そして敗戦という激動の時代をはさんで、作者が修道というテーマと取組んで、どのような深化を示したかが、うかがわれて興味ぶかい。
修業がテーマの作品中、なかでも『羅刹』は力作で、昭和十二年九月に発表された作品だが、山本さんの新進時代の作物の代表的作品といえるのではないか。「いかなる悪鬼魔神(の面)を打ちましょうとも、仮面は仮面として象徴の芸術でなければなりません、それがこの羅刹の面は、ひとりの人間、信長公の瞋恚忿怒の相そのままでございます、仮面としてはまことに邪悪外道の作でございました」と主人公の宇三郎にいわせて、修道のきびしさの本質を衝いている。この作品はその主題の確実な把握に、後日の山本さんの大成をにおわせる重要な作品となっている。
本書にあつめた十編は、昭和十年から戦後の昭和二十七年の間に発表された。これらの作品は今日でも再読三読に耐える水準を保ち、普遍なる人間像を、永遠の追究課題とした作者の志操と技術が、すでに確固たる域に達している。この作品集を『山本周五郎修道小説集』としたのは、「金作行状記』『与茂七の帰藩』『山だち問答』『一領一筋』『似而非物語』などのように武道の、また『羅刹』のように芸術の修業が主題になっているためである。
収録した作品は、『癇癪料二十四万石』、『金作行状記』、『烏』、『与茂七の帰藩』、『与之助の花』、『山だち問答』、『一領一筋』、『羅刹』、『半之助祝言』、『似而非物語』の十編。
十編の収録作品のすべては、講談社、新潮社の山本全集に未採録のものであるが、このうち『癇癪料二十四万石』『金作行状記』『烏』『似而非物語』の四編は、山本さんの生前に刊行されたどの小説集にも収められたことがない。また発表年月も昭和十年五月の『癇癪料二十四万石』から昭和二十七年七月の『似而非物語』に至る十七年間にわたっており、日中戦争、太平洋戦争、そして敗戦という激動の時代をはさんで、作者が修道というテーマと取組んで、どのような深化を示したかが、うかがわれて興味ぶかい。
修業がテーマの作品中、なかでも『羅刹』は力作で、昭和十二年九月に発表された作品だが、山本さんの新進時代の作物の代表的作品といえるのではないか。「いかなる悪鬼魔神(の面)を打ちましょうとも、仮面は仮面として象徴の芸術でなければなりません、それがこの羅刹の面は、ひとりの人間、信長公の瞋恚忿怒の相そのままでございます、仮面としてはまことに邪悪外道の作でございました」と主人公の宇三郎にいわせて、修道のきびしさの本質を衝いている。この作品はその主題の確実な把握に、後日の山本さんの大成をにおわせる重要な作品となっている。
読者の誤解を避けるために触れておくが、本書の各編が、新潮社版及び講談社版の『山本周五郎小説全集』に不掲載であるのは作品の不出来によるものではなくて、全集刊行時に、これらの作品を集めることができなかったためである。もともと作者自身、作品の切抜きや、単行本を手元に保存しない建前であったし、戦前の大衆娯楽雑誌までを完備する図書館等も少なく、ほとんど散逸の状態にあったのである。
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