著者:徳島 方明
ページ数:74
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プロローグ
このところ、作業場の前にキャンプ用の肱掛椅子を持ち出して熱いコーヒーを飲むのを日課にしている。秋空の下、足元の野菜畑を眺めていると気持ちが良い。その向こうの方にずーっと広がっている田畑に目を向けていると、なんだか懐かしい記憶が逆流してくるような感覚になった。あれっ。なんだっけ。そうだ、中学の自転車置場の光景だ。俺は校舎の窓を見つめている。そこには、そう、制服姿の君がいて俺の方を見ている。ああ、そうだった。その日は中学の卒業式だったのだ。この学校とはさっさとオサラバしようと思っていた俺は誰よりも早く自転車置き場に来ていた。自転車を出そうとして何気なく顔を上げると、その瞬間に開け放たれた校舎の窓から俺の方を見ている君の姿が俺の目に飛び込んできたんだ。そうなんだ。その時君に抱いた俺の気持ちは今も変わっていないようだ。……
・ 最後の三歩目
……
卒業式の当日は風もなく良く晴れていた。日向でじっとしていると少し汗ばむくらいの暖かな日だった。式が終わっても、多くの同級生が教室に居残って別れを惜しむように話をしていた。そんな中、俺は早々に帰り支度を済ませ一人で自転車置場に行った。俺の他には誰も来ていない。もう二度とこの校舎に来ることはないだろう。同級生にも二度と会うことはないだろう。だが、名残惜しいという感情は湧いてこない。今、自転車置場に一人でいても寂しいという感情は全くない。しかしだ、…。
自転車を出そうとして何気なく顔を上げると、そこにはコンパスの子がいた。校舎一階の俺の真正面の位置にある廊下の窓が大きく開け放たれていて、そこからコンパスの子が俺の方に視線を真っすぐに向けていた。三〇メートル以上は離れていただろうか。それに気づいた瞬間、時間の流れが止まった。俺の目には窓枠に縁取られた制服姿の彼女と校舎の白いコンクリートの壁だけが映っている。他には誰もいない空気感だけがあった。
……。しかし、そんな状況におかれても俺はその人に声をかけることができなかった。俺が何か言った途端にその人と見つめ合うことのできるその瞬間の関係性さえもが崩れ去ってしまうような予感がしたからだろうか。明日からはもう顔を見ることさえできなくなってしまうというのに。
そして、結局、止まった時間の中で彼女の唇も動くことはなかった。彼女としても廊下を歩いていてたまたま音が聞こえてきた方角に目を向けたその瞬間だったのかもしれない。実際は、顔を上げてから自転車にまたがって走り出すまでのほんの数秒間の出来事だったのだろう。彼女に背を向けてそのまま振り返ることもなく畑の中の一本道に自転車をこぎだした。結局、この時が彼女を見た最後になってしまった。
目次
一 はじめての電話
二 再会
・ 初めて意識した日
・ 心の真ん中
・ 次の二歩目
・ 最後の三歩目
・ 高校生活
・ 大学生活
三 二度目の電話
四 三度目のそして最後のデート
五 その電話は誰から
六 宙返りコースター
七 国道を歩く
八 定番の喫茶店&公園
九 空手部の友たち
十 カルピスにノックアウト
十一 同棲という選択肢は
十二 現在
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