著者:淡波亮作
ページ数:128
¥280 → ¥0
白浪空(しらなみそら)は十二歳。母の陽子と二人暮らしだ。空は、背中に重い病を患い、ここのところずっと床に伏していた。
ある日、空は謎の一団に誘拐され、母は空を守ろうとして命を落としてしまう。
空を誘拐し車で逃走する犯人たちだったが、突然、また別の何者かに襲われる。
そして──。
空が目を覚ますと、そこは見たこともない不思議な空間であった。
女が言う、
「あなたを救い、招き入れたのだ」と。
それは、新たなリアリティーを持って目の前に立ち現れる。そのとき、あなたの心はもう、ものの見方はもう、今までと同じではなくなってしまうだろう。
またしても、人類のあり方を根本から変えてしまうようなリアルマジックSFの登場です!
(2016.7.7改訂版発行:本作は2016年1月に発売した作品の改訂版です)
■■■ 立ち読みコーナー ■■■
1
ピンポーン。
静穏な早朝の空気を、不躾なチャイムがかき乱す。陽子がモニターを覗き込むと、郵便局の制服に身を包んだ若い女性の姿が見えた。
「はい」
そう言ってモニターのスイッチを切り玄関に向かう陽子に、うつ伏せに寝そべったままの空が不安げな顔を向けた。
「母さん?」
陽子は空を安心させるように、微笑んで見せた。
「おはようございます、白浪さん。書留が届いてます」
玄関を小さく開けた陽子に、郵便局員が封筒を掲げ、笑みを浮かべた。
「済みません、印鑑を、お願いします」
陽子が扉を開くと、女性は扉が閉まらぬよう玄関に足を踏み入れた。物入れから印鑑を出して足先にサンダルを引っかけた陽子が顔を上げる寸前、女性が声を上げた。
「Go!」
女性は勢いよく扉を開け放つと陽子を突き飛ばし、靴のまま走り込んできた。さらに女性の背後からは、2人のスーツ姿の男が入ってくる。
「え? ちょっと、何ですかあなたたちは、人の家に土足……」
すぐに立ち上がった陽子が女性に追いすがり、リビングを抜ける。女性は、一直線に空のいる寝室に駆け込んだ。呆気にとられる空の目に、不自然な姿勢で宙を舞う陽子の視線が絡みついた。男の一人が、駆け寄る陽子の首に強烈な肘打ちを食らわせたのだ。
そして、空の記憶はそこで途切れた。腹を襲った鈍い痛みとともに。
時間にしてわずか数分の出来事だったのだろう。空は、加速しつつある車の中で目を覚ました。背中がヒリヒリと傷んだ。窓外を見ようと顔を上げた瞬間、甲高いブレーキ音と共に車が急停車し、空の体は前席の背面にしこたま打ちつけられた。隣に座っていた郵便局員姿の女もバランスを崩し、つんのめっていた。
「危ねーじゃねーか!」
運転手が窓を開け、下品な声を上げる。車の前には背のすっかり曲がった老婆が立ち止まり、こちらを見ていた。その目は、老婆のものというより、猛禽が獲物を狙うもののようだった。
その顔が、ニヤリと笑った。どこからともなく二本の腕が伸び、運転手の首を締め上げていた。と同時に、老婆がしゃんと背を伸ばしてドア横に回り込み、ドアを開けると運転手を引きずり出した。助手席側から飛び出したスーツの男が、銃を構えた。狙いを定めるまでもなく、その背後から音もなく迫った女が銃を蹴り落とし、そのまま男の股間に一撃を食らわせた。老婆、いや、老婆の振りをしていた男が、後部座席のドアを開ける。上着の中にリュックを背負っているように、背中が膨らんでいた。すっかり背中が丸まった扮装をするために、何か詰め物をしているのだろう。猛禽の眼差しを持つ男と目を合わせた郵便局員姿の女は怯えきって、抵抗を試みようとはしなかった。
空はまた、別の連中にさらわれた。今度はすっかり目隠しをされて。
「白浪空くん、十二歳。あと五日で十三歳。間違いないかい?」
あんなに乱暴な連中にしては、優しい口調だった。まだ返事もしていなかったが、目隠しがそっと外され、空は眩しさに目をつむった。
「驚かせて悪かったね、私は神谷、神谷昇平だ。あの場合……、仕方がなかったんだ。どうか、許して欲しい」
「家に、母さんのところに帰して!」
空は目をつむったままで言った。
「済まないね、でもそれはできないんだ。君のお母様は亡くなってしまったのだし──」
「母さんが? 嘘だ、嘘つき!」
その言葉に、空は両眼を大きく見開いた。空の眼に、神谷の背中の膨らみが映った。この男もまた、あの時、老婆の振りをしていた男と同様に、背中が膨らんでいた。上着の中にリュックを背負っているかのように。空は言い知れぬ嫌悪感に、眉をしかめた。
「私たちの仲間が、君の家に行って確かめたんだよ。本当なんだ。ごめんね、お母さんを守ってあげられなくて」
神谷と名乗った男が嘘をついているようにも思えなかったが、言っていることは間違っていた。事実ではない。そうだ、誘拐犯の言うことなど、信じてはいけないのだ。
「嘘つきの言うことは聞けない。たまたま歳は合ってるけど、誕生日は一週間先。おじさん、いい加減なこと言わないで。母さんは死んでなんかいないし、おじさんたちは誰も僕の家になんか行ってもいない。そうでしょ?」
「いいや、あいにくだが、私は嘘をついていないんだ。君は、ここで二日間ずっと寝ていた。今日は、五月二十四日。そしてお母様の命日は、五月二十二日だ」
「嘘だ」
空は神谷を睨みつけた。だが、空は既に、神谷の言葉を信じるしかないことを悟っていた。
「分かったよ。でもとにかく、家に帰して。身代金なんか払える人、誰もいないんだからさ。どうしてオレなんか、誘拐したんだよ──」
「私たちはきみを誘拐したのではないよ、誘拐犯から取り返したんだ。それに、家に戻ればまたあいつらに襲われる。きっと今度は、君をいきなり殺すだろうね」
「殺す、って!?」
想像もしない言葉の強さに、空は両目を見開いた。眩しさで急に思い出したように、背中が疼いた。空は背中に右手を回す。ふと気付くと、手足の自由は奪われてはいなかった。空は立ち上がり、左右を見回した。出口は? 逃げ場所は? 気がつかなかったが、部屋にはもう一人いた。女だ。
「申し訳ないけど、あなたはここから出ることはできないの。ずっと、ここで私たちと暮らすのよ。家族として、ね」
回し蹴りの女だった。あの時は分からなかったが、女優のように美しかった。
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