著者:勝鬨美樹
ページ数:27

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聖書は四つの文書を組み合わせです。
①最も古い部分は紀元前950年頃に南のユダヤ人の王国で作られました。使われている神の名称がヤファウエであることから”J”文書と呼ばれます。
②これに続くのが紀元前850年頃に北のユダヤ人の王国で作られた”E”文書です。こちらは神をエロヒムと呼んでいるので”E”文書と呼ばれています。
③そして”D”文書。これは紀元前750年頃に南の王国で起きた宗教革命時に書かれたもので”D”文書と呼ばれています。”D”はDeuteronomium申命記のDです。聖書の本流であるユダヤの民の歴史は、大半がこの時期に書かれたものです。…
④最後の”P”文書。これはバビロン捕囚によって国土を喪失したユダヤ人が、存亡の危機に立ち向かうために、彼らの宗教体制を確立させる目的でユダヤ教祭司たち行った、自分たちの歴史の大統合です。Priesterschrift祭司資料から”P”文書と言われる。

セカンドオピニオンが少ないので、客観的にユダヤ人の民族史を語るのは難しいのですが、ちょっと乱暴にまとめてみたいと思います。
ソロモンが登場してユダヤ王国を立ち上げる前の時代は、12の士師たちが夫々に自分たちの暮らす地域を取りまとめていました。士師(さばきつかさ)の時代は、聖書の中では「士師記」と呼ばれています。”D”文書の部分です。
彼らが生きた地中海東海岸南部には、フェニキア人たちが交易のために築いた城塞都市が点在していました。これを”出エジプト”したへブル(ユダヤ)人が「ここは我らが神によって与えられた土地である」と言って、勇猛な戦いによって手に入れた所だと聖書は語ります。しかし拙稿「地中海とワイン」の中で書きましたが、モーゼが引き連れた”出エジプト”したへブル人は、どう考えてもそれほど大きな集団だったとは思えません。それと。おそらく”出エジプト”のきっかけとなったサントリーニ島の大爆発は、この地にも甚大な壊滅をもたらしたと考えられます。地中海東海岸南部に点在していたフェニキア人の城塞都市も一気に暗黒時代へ引き戻されていたはずです。
モーゼたちは、その瓦解した地へ来た。そしてそこに腰を落ち着けた。そう考えるのが順当でしょう。紀元前1200年前の話です。
「士師記」があることから推察できるのは。サントリーニ島大爆発で瓦解したフェニキア人の町が、幾つかの周辺の集団。あるいは未曽有の天災をからくも逃れた集団の手に移ったのだろうという事です。同じようなことは、ギリシャでもエーゲ海の島々でも起こっています。おそらく、この地でも同じことが起きたと考えられます。モーゼたちの集団は、その中の一つだった。そう考えるのが順当なように思われます。
そのモーゼの集団の中に、ダビデ/ソロモンという傑出した俊才が続けざまに生まれた。そして彼らによって、この地が統合されユダヤ王国が誕生したのです。
しかし傑出した王が作った国は、例外なく王死後はすぐに分裂してしまいます。ユダヤ王国も、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂してしまう。”J”文書は、その南の王国でまとめられたものです。
北が、土地も貧しく常に外威に晒される場所だったの比して、南は土地が豊かで交易もフェニキア人時代からのものが多く残って豊かなところでした。
“J”文書の作者。”J”と呼びましょう。彼が書いた文書からは、その豊かな見識量と深い洞察力を感じるのは、やはり南ユダ王国が”J”の輩出を許すほど富んだ土地柄だったからに違いありません。

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