著者:小さなヨハネ
ページ数:20

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まえがきより
日本のクリスチャンは人口の僅か1%程度と言われます。クリスマスやキリスト教式の結婚式は浸透しています。しかし、信者となるには至りません。入信する宗教として日本人はキリスト教を認めていないと言っても良いでしょう。

ちろんそれ以外の宗教も大半の人は生まれた家がそうだっただけで、自分から選んで信者になったという訳ではありません。ですから取り立ててキリスト教だけが受け入れられていないとまで言えないかもしれません。

しかし、他の宗教も同様ですが、魂を救う方法としてキリスト教が積極的に信仰されているとは言えません。これだけの歴史や規模からして、キリスト教が救いの上で無益なものとは思えません。それどころか、非常に有益であると私は考えています。ではなぜキリスト教は信仰されないのでしょうか?

私たちはキリスト教が決して嫌いな訳ではありません。風習となったクリスマスや結婚式もそうですが、キリストやキリスト教に対する敬意も持ち合わせています。キリスト教が日本人によって積極的に信仰されないのは、結局キリスト教が分かり難いのが原因だろうと思います。分からないものを受け入れることは困難だからです。

キリスト教が分かり難い理由は二つあると考えます。一つはキリストが神なのかただの人なのか不明確な点です。二つ目はキリスト教で救われる仕組みが不合理な点です。信じるだけで救われるなどと言うことは常識では考えられないからです。

私たちはここで行き詰まってしまいます。キリスト教の本を読んでも今ひとつ納得が行きません。どうしたらいいのでしょうか?

ここで発想の転換が必要と思います。つまり、従来のキリスト教の考え方は間違っているのではないか、間違っているなら理解出来ないし、受け入れられないのは当然ではないかと。しかし誰も従来のキリスト教が間違っているとは言いません。従って結局分からないままです。

そこで、部外者から信者になった者として、私は皆様にスウェーデンボルグを読まれることをお薦めします。スウェーデンボルグは従来のキリスト教の考え方は間違いであると明確に指摘しています。

スウェーデンボルグの本を読むとその膨大な内容、整合性、合理性に驚嘆させられます。なるほどそうかと思うことばかりです。またその文章は彼自身の素晴らしい知性と人間としての誠実さを感じさせます。

スウェーデンボルグによって、私たちは啓示されたものに対する感覚が養えるようになります。瞬時にこれは良い、これは悪いというのが識別できるようになります。「然り、然り、否、否」(マタイ5・37)です。単に人知による想像で書かれたものは読めなくなります。

本屋さんに行くと、キリスト教関係の本がたくさんあります。しかし、スウェーデンボルグについて述べている本は皆無です。なぜなら、スウェーデンボルグは異端扱いされているからです。学者も教役者も異端視されているものは取り扱わないでしょう。教わってもいないでしょう。ですから学んでいないし、知らないのです。

主は「世の終り」が来ることを予言されています(マタイ24章)。スウェーデンボルグを異端視する人たちはその意味を知らないのでしょう。それは古いキリスト教の時代が終り、新しいキリスト教の時代が来るという意味です。黙示録も同じです。主御自身によって自分たちのキリスト教が否定されているのに、そのことを棚に上げてどうしてスウェーデンボルグを否定出来るでしょう。

私のような者が言うもおこがましいですが、キリスト教はスウェーデンボルグを読んで初めて理解できるようになると思います。今やスウェーデンボルグを読まずにキリスト教は語れない時代が来ています。それはインターネットの発達で、私のように無知、無教養な者でも自分の体験と勉強から得た知識や考え方を皆様に自由にお伝えすることが出来るようになったからです。

主が学者や識者たちではなく、無学な漁師を使徒として選んだ意味をお考え下さい。それは使徒たちの教えや業が彼らから出たものでないことを知らしめるためでした。

ちなみに私は少年時代、夏になると毎日川に通い投網でヤマベやハヤをつかまえて夕食のおかずにしてもらいました。今はインターネットに通って人間を取る漁師(!)です。まことに主は何事もその人間を訓練してくださるものです。

従来のままの考え方でキリスト教を語るなら、スウェーデンボルグの主張を否定しなければなりません。あるいは王様は裸だと叫ぶ私のような者の雑音も。

スウェーデンボルグを無視してキリスト教を語っても後々恥をかくだけです。カントがスウェーデンボルグ批判の本を出したことは彼にとって痛恨の極みだったでしょう。彼は後にその本を自分の全集に入れてくれるなと言ったそうです(「哲学では救われない―カントはスウェーデンボルグに歯が立たなかった」ご参照)。

主は「聞く耳のある者は聞きなさい」(マルコ4・23)と仰います。ですから無理にスウェーデンボルグをお読みなさいとは言いません。

しかし、スウェーデンボルグが正しいかどうかは他人の判断や世間の評判で判断してはなりません。あくまでも自分の判断で判断する必要があります。なぜなら主は「あなたがたは、何が正しいかを、どうして自分で判断しないのか」(ルカ12・57)と仰っているからです。

「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」(ヨハネ10・27)。スウェーデンボルグの本が神(主)からの啓示であり、私たちが主の羊なら、私たちはそれを識別するでしょう。私の説明は不十分ですが、皆様がスウェーデンボルグを直接読まれるきっかけとなれば幸いです。

目次
まえがき
1.キリスト教はスウェーデンボルグを読んで初めて理解できる
2.スウェーデンボルグ自身についての簡単なご紹介
3.スウェーデンボルグに関する誤解
・スウェーデンボルグはオカルトや性格異常者ではない
・スウェーデンボルグはニューソートではない
・神は人の姿の神でなければならない、人の姿をした神を前提にした宗教でなければ宗教ではない
・ニューソートは無神論、自己崇拝、しかし個人的には霊的なものに興味を抱くきっかけとなった
4.スウェーデンボルグはキリスト教そのもの
5.彼の主張
・主イエス・キリストは父なる神御自身
・父と子と聖霊とはすべて主イエス・キリストのこと
・救われるとは神と愛で結ばれること
・神は人間に理解されるために人間の姿となってこの世に降られた
・従来のキリスト教は主を神御自身と認めない
・主を崇拝せず、父なる神を崇拝しても救われない
・神を否定するなら地獄に行く
6.スウェーデンボルグは他にもたくさんのことを教えてくれる
7.スウェーデンボルグは天界と地獄のあることを教えてくれる、惑星人の霊については判断保留
8.生きる意味を知るためには神なる主の存在と死後の世界の存在を知る必要がある、それ抜きの宗教、哲学、心理学、ニューソート、自己啓発の類は無力
・あとがき

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