著者:夏目 漱石
ページ数:152
¥450 → ¥0
最初に崋山房版「新編 草枕」は漱石の作品「草枕」の改編版であることを、お断りしておく。
あえて新たに崋山房から電子ブックという形で刊行した意図もそこにある。
「草枕」は一九〇六年九月「新小説」に発表されたが、一九一四年に春陽堂から単行本として出版される。一九〇六年といえば「坊っちゃん」が四月に、十月には「二百十日」が発表されている。「猫」は、一九〇五年である。「猫」も「坊っちゃん」も言ってみれば、国民的愛読書である。
さらに、漱石の三部作といえば、前期が「三四郎」「それから」「門」であり、後期の三部作は「彼岸過迄」「行人」「こころ」である。で、「草枕」は? ということになる。
「草枕」は、グレン・グールドの愛読書であったことは有名である。それどころではなく、従姉ジェシーに、『草枕』の全部を二晩にわたって朗読して聞かせる。一九八一年のカナダ・ラジオでも、『草枕』第一章を朗読する。英訳そのままではなく、自分で要約編集したものであった。その書き込みまでされたグールドの英訳本「草枕」は彼の死後、行方知れずとなっている。グールドが「草枕」のどこに惹かれたのかは明確には分からない。不世出の天才ピアニストが異常とも言える仕方で「草枕」を愛したのは間違いない。それにも関わらず「草枕」が日本の国民的愛読書となっている「猫」や「坊っちゃん」ほど日本で愛されているとは言い難い。
そこにいたって、それはなぜだろうと考えた。考えるヒントはすぐに見つかった。
崋山房セレクションの「愛のゆくえ」のまえがきでも触れたことであるが、もう一度記す。夏目漱石は、一九〇六年新年号「ホトトギス」に発表された伊藤左千夫の「野菊の墓」を読み、いたく感動し伊藤宛にさっそく手紙を書いた。「野菊の墓は名品です。自然で淡泊で可哀想で美しくて野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい。・・・小生帝文に趣味の遺伝と云う小説をかきました。君の程自然も野趣もないが亡人の墓に白菊を手向けるという点に於て少々似て居ますからついでによんで下さい。十二月二十九日 伊藤大兄 金」これは有名な書簡なのでご存知の方も多かろうと思う。さらに森田草平とこのことについて書簡を交わす。森田からの書簡は発見されていない。漱石の森田宛の書簡には、こうある。
「但し女が死んでからの一段はあれでいい。もっとも君の云う様にすれば死というものに対して吾人の態度が違ってあらわれてくるばかりである。死に崇高の感を持たせようとするときには、其方を用いるがよいと思うが、死に可憐の情を持たせるのは、あれでなくてはいかぬ。野菊の行きがかりから云うてあれでなくてはものにならない。調和せんと思う」漱石の「野菊の墓」への惚れ込みようはこのように一様ではない。そして同年九月に「草枕」を発表するのである。そして十一月に「余が『草枕』」というエッセイを発表し、そのなかで「草枕」でめざした狙いを明らかにする。「文学にして、いやしくも美を現わす人間のエキスプレッションの一部分である以上は、文学の一部分たる小説もまた、美しい感じを与えるものでなければなるまい。勿論定義次第であるが、もしこの定義にして誤っておらず、小說は美を離るべからざるものとすれば、現に美を打ち壊して構わぬものに傑作と云われるもののあるのは、おかしい。私はこれが不審なのである。」
漱石はさらにこう記す。「私の『草枕』は、…(略)…ただ一種の感じ、美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。」あきらかに漱石の「草枕」は、「野菊の墓」に触発されたものだと言い得ると思う。 さらに、こうも記す。「また、私の作物は、ややもすれば議論に陥るという非難がある。が、私はわざとやっている。もしもそれが為に、読者に与えるいい感じを妨げるようではいけないが、これに反して、かえって、これを助けるようならば、議論をしようが何をしようが、構わんではないか。」
「議論」と「美しい感じ」を両立させようとした漱石の「草枕」での困難な狙いは、必ずしも成功しているようには思えないのは、編者だけであろうか。
というようなわけで編者は、エディターズカット版の「草枕」の可能性に気づいた次第である。
「草枕」本編(九)のなかにある次のような一節も編者の編集意図(エディターズカット版の「草枕」の可能性)を後押ししてくれているようだ。画工の「余」と那美さんとの間に交わされる会話である。
那美さんが言う。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
画工が応える。
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
那美さんが言う。
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
あえて新たに崋山房から電子ブックという形で刊行した意図もそこにある。
「草枕」は一九〇六年九月「新小説」に発表されたが、一九一四年に春陽堂から単行本として出版される。一九〇六年といえば「坊っちゃん」が四月に、十月には「二百十日」が発表されている。「猫」は、一九〇五年である。「猫」も「坊っちゃん」も言ってみれば、国民的愛読書である。
さらに、漱石の三部作といえば、前期が「三四郎」「それから」「門」であり、後期の三部作は「彼岸過迄」「行人」「こころ」である。で、「草枕」は? ということになる。
「草枕」は、グレン・グールドの愛読書であったことは有名である。それどころではなく、従姉ジェシーに、『草枕』の全部を二晩にわたって朗読して聞かせる。一九八一年のカナダ・ラジオでも、『草枕』第一章を朗読する。英訳そのままではなく、自分で要約編集したものであった。その書き込みまでされたグールドの英訳本「草枕」は彼の死後、行方知れずとなっている。グールドが「草枕」のどこに惹かれたのかは明確には分からない。不世出の天才ピアニストが異常とも言える仕方で「草枕」を愛したのは間違いない。それにも関わらず「草枕」が日本の国民的愛読書となっている「猫」や「坊っちゃん」ほど日本で愛されているとは言い難い。
そこにいたって、それはなぜだろうと考えた。考えるヒントはすぐに見つかった。
崋山房セレクションの「愛のゆくえ」のまえがきでも触れたことであるが、もう一度記す。夏目漱石は、一九〇六年新年号「ホトトギス」に発表された伊藤左千夫の「野菊の墓」を読み、いたく感動し伊藤宛にさっそく手紙を書いた。「野菊の墓は名品です。自然で淡泊で可哀想で美しくて野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい。・・・小生帝文に趣味の遺伝と云う小説をかきました。君の程自然も野趣もないが亡人の墓に白菊を手向けるという点に於て少々似て居ますからついでによんで下さい。十二月二十九日 伊藤大兄 金」これは有名な書簡なのでご存知の方も多かろうと思う。さらに森田草平とこのことについて書簡を交わす。森田からの書簡は発見されていない。漱石の森田宛の書簡には、こうある。
「但し女が死んでからの一段はあれでいい。もっとも君の云う様にすれば死というものに対して吾人の態度が違ってあらわれてくるばかりである。死に崇高の感を持たせようとするときには、其方を用いるがよいと思うが、死に可憐の情を持たせるのは、あれでなくてはいかぬ。野菊の行きがかりから云うてあれでなくてはものにならない。調和せんと思う」漱石の「野菊の墓」への惚れ込みようはこのように一様ではない。そして同年九月に「草枕」を発表するのである。そして十一月に「余が『草枕』」というエッセイを発表し、そのなかで「草枕」でめざした狙いを明らかにする。「文学にして、いやしくも美を現わす人間のエキスプレッションの一部分である以上は、文学の一部分たる小説もまた、美しい感じを与えるものでなければなるまい。勿論定義次第であるが、もしこの定義にして誤っておらず、小說は美を離るべからざるものとすれば、現に美を打ち壊して構わぬものに傑作と云われるもののあるのは、おかしい。私はこれが不審なのである。」
漱石はさらにこう記す。「私の『草枕』は、…(略)…ただ一種の感じ、美しい感じが読者の頭に残りさえすればよい。」あきらかに漱石の「草枕」は、「野菊の墓」に触発されたものだと言い得ると思う。 さらに、こうも記す。「また、私の作物は、ややもすれば議論に陥るという非難がある。が、私はわざとやっている。もしもそれが為に、読者に与えるいい感じを妨げるようではいけないが、これに反して、かえって、これを助けるようならば、議論をしようが何をしようが、構わんではないか。」
「議論」と「美しい感じ」を両立させようとした漱石の「草枕」での困難な狙いは、必ずしも成功しているようには思えないのは、編者だけであろうか。
というようなわけで編者は、エディターズカット版の「草枕」の可能性に気づいた次第である。
「草枕」本編(九)のなかにある次のような一節も編者の編集意図(エディターズカット版の「草枕」の可能性)を後押ししてくれているようだ。画工の「余」と那美さんとの間に交わされる会話である。
那美さんが言う。
「西洋の本ですか、むずかしい事が書いてあるでしょうね」
画工が応える。
「なあに」
「じゃ何が書いてあるんです」
「そうですね。実はわたしにも、よく分らないんです」
「ホホホホ。それで御勉強なの」
「勉強じゃありません。ただ机の上へ、こう開けて、開いた所をいい加減に読んでるんです」
那美さんが言う。
「それで面白いんですか」
「それが面白いんです」
「なぜ?」
「なぜって、小説なんか、そうして読む方が面白いです」
ここに、エディターズカット版の『新編 草枕』が、結果どういう作品に変じたかは、お読み頂いてのお楽しみである。現代の読者にもうひとつの読み方が示されたのは間違いないし、その意外な変容のほどに読者が少なからず驚かれるならば、それは編者のよろこびとするところである。
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