著者:井上貫道
ページ数:196

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(旧『井上貫道老師提唱録 修行の大前提: 真実とは、悟りとは、修行とは:道元禅師『学道用心集・普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』から』からタイトルを変更しました) 真実に気付く(悟る)ためにはどうすればよいのか。十代で悟りを開いた井上貫道老師が、修行の大前提としてまず理解するべき基本(真実、悟り、修行、禅とは何か)を、禅の古典を紐解きながら、懇切丁寧に説明。さらに只管打坐の坐り方についての具体的な説明も独立した一章としてあり、即実践を始められるようになっている。真実を求め、修行を志す方は必読の書。 【井上貫道老師略歴】 1944年、静岡県生まれ。曹洞宗准師家、嵩山少林寺東堂。井上義衍老師について参禅し、十六歳で大事了畢(だいじりょうひつ)、印可証明を受ける。半世紀以上にわたり禅の指導にあたっており、現在は、東京、静岡、関西、岡山、埼玉、新潟など各地の坐禅会で出家および一般を指導。難解とされる『正法眼蔵』なども平易な現代語を使ってわかりやすく自由自在に説く。著作に『真実、悟り、禅修行とは:道元禅師『学道用心集』『普勧坐禅儀』、黄檗希運禅師『伝心法要』提唱録』『げんにーび 正法眼蔵現成公案提唱録』『正法眼蔵 三十七品菩提分法 提唱録』『少林寺史』がある。 【本文より抜粋】 「…ほとんどの人が、「私たちの生活しているのと違った別な教えが、諸仏方、悟りを開いた人たちにはあるんじゃないか。だからそういう人たちの素晴らしいものを、できたら自分も味わってみたい」。そう思って間違えているのでしょう。そもそもそれが間違えなのでしょう。なんで今こうやっているのに、これで満足できないかを尋ねた方がいいのでしょう。何が満足させていないのですか? それを本当に追求するためには、今まで使ってきた思量分別を一切使わずに、この事実にいてみることなんじゃないですか? それが、坐禅と言われる行なんじゃないですか?」 「この生涯、一身、このひとつの体、ひとつの心のあり方で過ごしていくから、他所から貰うものは何もないよね。皆さんが他所から色んなものを貰うと思っているのは、取り込んで初めて自分のものになっていると思っているからです。こうやっている時、全て自分の生きている様子でしょ? それを頭の中で向こうの物っていうふうに勝手に皆さん方が切り離して、いわゆる分別をして、もともとひとつのものを分け隔て起こして見るような習慣になった。それで分け隔てがあるような気がしている時に気が付いたものだから、どうしたらひとつになれるかと思うようになった。そういうものが一般の行です。  釈尊はそうではない。最初からひとつの様子であるということの上で話をされる。そういうことに気が付かれたからですね、よくわかっている。私たちが最初から別々でないのに、途中から分けて考えていたということを自分が気付いて、じゃあ最初からちゃんとしている様子を話した方が、伝えた方が、間違えないじゃないかということです。で、それを話しても…聞き入れられるだけの能力のある人はいなかった。なぜ聞き入れられないかというと皆、自分を立てて物を見ている人ばかりだから。「そんなこと言ったって、そんなになっていない。あそこに座布団があるじゃないか。どうしてあれが私の様子?」ってそういうふうにしか見ないのですね。辛うじて言えば「私があれを見ている」っていうぐらいの捉え方だから、やっぱり分別で分かれている。」 「…修行するっていうことは、思量分別を扱う世界じゃないのですね。それをやったら、ものの真相がほとんど永遠にわからない。…気が付いた(悟りを開いた)人たちは、そういう(思量分別を扱う)ことをしないで、それで初めてものがわかったと皆さんに伝えているのだから、信じたらいいじゃない。数から言ったって、膨大な試験をやった上で、それが事実だっていうことは、もう明白なのです。一万人に飲ませたら、たった一人しか生き残らなかったというくらいの毒薬だったら飲まないでしょうが。…それだのに、思量分別を取り扱うこと止めなさいって言っても止めない。死んでもいいと思っているのだよ。」 「一切の生き物と、諸々の仏菩薩と一体にして、ひとつも違いがない、そう言われても、何となくこのままで済まないところがあるでしょう。人の話ってやっぱり役に立たないのでしょうね、いくら聞いても。「本源清浄」、底抜け、徹底して残り物がない、「清浄」。皆さん自身の様子を見ていただければわかる。否応なしにそうなっているでしょう。自覚をする、しない、関係なく。  だから更に自覚があれば、なおのこと有難いのでしょうね。そういうことで古来、「悟」というもの、「悟り」というものを大事にしてきている。自分自身のあり様に対して、自分自身の信憑性を自分で疑いなくいただけるっていうところまで連れて行ってくださるというのが悟りのあり様でしょう。だから一応それを大事にするし、そういうことを一回体験して超えないと、本当の意味では自分のものでありながら、借り物のような生活をしているのでしょうね。」 「坐禅の時の重要なことのなかに「箇の不思量底を思量せよ。不思量底如何が思量せん。非思量これ坐禅の要術(法)なり」…人の見解をすっかり付けずに離れた様子はどうか、ということでしょう…ものに触れた時に、自分の見方、考え方、そういうものを付けている時と、付けていない時とが自分で判然としないと、この事は無理ですね。…「叩かれて腹がたつ」というのだけれども、その中にも不思量の時と、思量に渡っている時は、間違いなくあるでしょう。…だから自分の思いが出てこない時、それはどうなっているだろうか。それを、修行する、坐禅の形を作って時を過ごす時のあり方として、最も重要なこととして挙げておられるのですね。これ、難しくはないでしょう?   例えば、山の中に行って、よく道に迷うというようなことを言う方がいますが、自分の思量分別、考え、そういうものを止めてみると、自分いる場所が現前として、今ある。迷わず、ここにいます。誰からも聞かなくても、ちゃーんと自分のいる場所の様子がさらけ出されている。迷いようのない程ちゃんとしている。そしてそういうふうな状況で、こうやって、そのままの様子に触れてみると、太陽があるとか、マイクがここにあるとか、色々ありますね。そういうことが皆出てくるのですよ。右の方見たら谷川があって、水が向こうの方からこっちの方に流れているとか、上の方見ると山が少し高いところで終わっているとか、あるいはずーっと続いているとか。とにかく、全部わかりますね。…この身心ひとつで、必ずそのとおり、今いる場所の様子が、全部そのとおりあるのですね、ピタ!っとズレずに。思量を用いると、わからない。思量を用いた人が、「迷っている、わからない」と言っています。最高の愚か者ですよね。  …そういうような、考えを付けているのか、考えを付けずに実物そのままでいるかということが、思量と不思量です。それは思量でよくわかるのですね。ものに対して、自分の考え方、見方を付けているか、付けていないかということは、皆さんの思量分別でわかるのでしょう? 思量分別でそのことがわかったら、今度は思量分別を使わずに、思量分別の付いてないままでいてごらん、と言うのです。そうすると本物がそのままわかるようになる。」 「外に出ると、色んなものが咲いているでしょうけれども、どの草花でも出会ったらそのままですよ、そのまま。何も人間的な追及をしなくても、いきなりズバリそのものです。「身心自然に脱落して」、身も心もそういうものをすっかり離れ切って、本来のあり様というものがそこにズバッと示されているじゃないか、と言っているのですね。それをもう一回戻ると、どういう名前の花だとか、いつ頃にどうだこうだとかいうたくさんの知識がありますから、そういうたくさんの知識をそこに出してくることで、本当にその花を理解できる、そういうふうに多くの人は思っている。それよりも、今直にその花の本物に触れているってことが本来の面目、目の当たりにそこにあるということでしょう。触れているということでしょう。その方が遥かに、言語を尋ねて理解するよりも深いし、一点の欠落もない。そういうものの触れ方をしているんじゃないでしょうかね。修行ってそんなことなのですよね。」 「では坐っているときにどうやって過ごすか。坐る時のあり方として、問題になるのは思量分別、色々なことが思えるというか、出てくるというか、あるいはこちらから(意図的に)考えるということがあります。…坐禅中はそういうものを、とにかく相手にしない。出てくる思いに対して、自分の見解で識別しない。いわゆる善し悪しを図らない。これは良いこと、これは悪いこと、これは正しい、これは間違っているというようなことをやらない、ということです。  もう少し具体的に話をすれば、坐っていて色々なことが出てきたときに、人間と言うものは、気に掛かることが結構あるものです。ですから通常は、その気になっていることを解決しようと思って、自分の頭の中で色々なことを始めます。これをとにかくやらないことですね。だからどのようなことが出てきても、思い出したものや考えたことで気にかかることがあっても、それを相手にどうこうする、手を付けて過ごすということをしない。また、その出てくるものに対して出ないようにするようなことも一切しません。こちらから造作をして、作り変えるようなことは一切しないで坐るのですね。それが坐禅をする時の工夫と言われる修行のあり方です。」

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