著者:アルボムッレ・スマナサーラ
ページ数:163

¥640¥0

日本で一番知られているお経「般若心経」。テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老が、ブッダの教えをもとに般若心経を解読していきます。「どこがおかしいのか」「どのように解釈したら良いのか」論理的に順を追って解説されています。本書を読み終えたときにはお釈迦さまの教えの神髄を理解することができます。

(はじめに より)
「『般若心経』は難しくてわからない」。そんな声をよく耳にします。
 確かに『般若心経』について、いろんな人々が解説していますが、どれもイマイチ納得できません。皆が好き勝手な解釈をして「私の『般若心経』」を語っています。それが日本の「『般若心経』文化」になっているのです。
 文化を楽しむのはいいことですが、『般若心経』のことを本当に知りたいと思っている人には困りものですね。
 じつは『般若心経』は、わからなくて当たり前なのです。それはお釈迦さま、正等覚者である釈迦牟尼ブッダその人が語った経典ではないからです。
『般若心経』をはじめとする大乗仏教の経典は、お釈迦さまが涅槃に入られてから数百年後、その直接の教えから一部を抜き出して、その人なりの能力で深い意味を表現しようとした宗教家たちの文学作品です。それを、私たちはいろいろと頭をひねって解釈しなければならないのですが、私たちもお釈迦さまが説いた真理を知っているわけではないので、納得いかないのです。
 このジレンマを解決する方法が一つだけあります。
『般若心経』を読んで、わからないところは、直接、お釈迦さまに聞くことです。
 お釈迦さまは誰でも理解できる言葉で、真理、すなわち「普遍的で客観的な事実」を完全に語りました。
 ブッダ以外、完全に真理を語れる人はいません。完全たる悟りに達していない人々は、たとえ高度な知識があったとしても、たとえ高度な精神的境地に達していたとしても、言葉という不完全なものを駆使して「完全に語る」ことはありえないのです。正等覚者でない限りは、真理は完全には語れないのです。どんなに頑張って深遠な教えを表現しようとしても、どうしても、欠点・欠陥が起きてしまうのです。
 このようなわけで、ブッダのあとに作られた大乗経典には、不完全な言葉で表現するというハンディがつきまとっているのです。その不完全な言葉の前でいくら悩んでも答えは出ません。  
 しかし、お釈迦さまが完全に説いたオリジナルの教えに立ち返ると、それまでわからなかった経典の教えもたちどころに理解できるようになります。『般若心経』の作者がお釈迦さまの教えのどこにヒントを得て、どんな真理を教えようとしたのか、明確にわかります。『般若心経』の欠点もわかりにくさも、なるほどと俯瞰できます。
 そこではじめて、出口のない「『般若心経』文化」の迷路から抜け出て、『般若心経』をきっかけとして、お釈迦さまの説かれた真理へとアクセスするための道のりも描けるのです。
 本書はそのような狙いで、ブッダの言葉から抽出して書かれました。『般若心経』を信仰している方々を批判するつもりも、嫌な気持ちにさせるつもりもありません。これはあくまでも『般若心経』をどう理解すればいいのか、という知的な挑戦なのです。  では、お釈迦さまの教えからみた『般若心経』入門のはじまりはじまり。

※『般若心経は間違い?』は、2007年8月に宝島社新書として刊行されました。2009年6月に文庫化(宝島SUGOI文庫)されました。電子書籍化にあたって内容に再編集を加えました。

目次
はじめに 般若心経は難しい?
第一章 色即是空と空即是色
 『般若心経』全文
 『般若心経』書き下し
 諸行無常と色即是空
 経典とは何か
 お釈迦さまの教え「パーリ三蔵」
 大乗仏教の三蔵
 般若心経は日本仏教の心臓部
 スリランカの般若心経『慈経』
 二六二文字に凝縮?
 省略しているから短い
 観音菩薩は架空キャラ
 菩薩は悟りを開く前のお釈迦さま
 菩薩の修行が波羅蜜
 大乗仏教でエスカレート
 初期仏教は十波羅蜜
 人格完成は一歩一歩
 誓願は「成仏」とは限らない
 五蘊を空と観察する
 五蘊には実体がない
 空は特別視するものではない
 サーリプッタ尊者を侮る悪い癖
 サーリプッタ尊者は修行のチェック役
 対話で学ぶのが仏教
 五蘊とは何か?
 五蘊でできている「私」
 色即是空だけでは足りない
 初期仏教では「空」の観察が数十種類ある
 現象の観察は無常から始まる
 空即是色は間違い
 空をもてあそんで実践が置き去り
 無常を否定する愚
 虚無主義への転落
 「空」と「無」は両立しない
 「生命とは何か」とブッダが問う
 ヒンドゥー教の出す答え
 西洋一神教の出す答え
 「生きている」とはなんなのか?
 眼耳鼻舌身意から色声香味触法を得る
 十八界は「存在のネットワーク」の説明
 簡単にわかったら意味がない?
 十二因縁は仏教の心髄
 四聖諦の説明
 なぜ人のやる気を削ぐのか?
 道徳が破れるまで語ってはならない
 弟子に守られる師匠
 仏教経典は修行の方法を語るべき
第二章 呪文と真実語
 空論者→虚無主義→神秘主義
 宗教は呪文願望を支えてはならない
 仏教は祝福する
 お釈迦さまを元気付けた「呪文」
 意味のある言葉に力がある
 呪文には力がない
 『般若心経』の真言は不完全
 『般若心経』の作者も真剣ではなかった?
 中身の勉強は不要
 理論、実践、向上への躾が必要
 ブッダの経典には隙がない
 矛盾のない言葉は一切智者にしか語れない
 龍樹の失敗
 「どう生きるべきか?」が欠けた教え
 人格向上のための道具を捨てるのか?
 日常生活での般若波羅蜜の実践法
 無常だから夫婦仲良く親孝行
 苦集滅道を発見するのが智慧
第三章 生き方を語る仏教
 『モーガラージャ経』
 死を乗り越えるための世界の見方
 『シーラ経』
 五蘊の観察リスト十一
 無常・苦・無我のどれかを発見する
 実践的な空論
 気づきで「空=無価値」を発見する
 修行が完成しても空を生きる
 大乗仏教と初期仏教の空論
 事実が役に立つとは限らない
 生き方を語っているか?
 龍樹の空論と空即是色
 無を使ったら空論は成り立たない
 空ではなく無常を語れ
 愚者の機嫌を取る空論
 空は語れない
 大乗仏教は何も発見していない
 唯識論の間違い
 大乗仏教優位論は成り立たない
 弥勒菩薩の伝説
 お釈迦さまは分析主義者
 真理は常に輝いている
 仏教徒という誇り
 ブッダの教えは原理主義でないと危険
 仏教徒の誇りを取り戻す
第四章 無我問答
 相応部経典 詩偈相応比丘尼の章「無我問答」
 どういうわけで無我なのか?
 「悪魔」とは何か
 「魔」には五つの意味がある
 神は、心のエネルギーのレベルで生きる生命
 修行者の心の振動はトップレベル
 悪魔は「私たちの代弁者」
 悪魔は「仏教を攻撃する人々」
 出家の生活
 悪魔が阿羅漢の禅定を妨げる
 悪魔のすごい質問
 ヴァジラー比丘尼が悪魔だと見抜く
 しょせんは「世間の合意」
 五蘊①色蘊(rūpa-kkhandha ルーパッカンダ)は、肉体を構成する物質
 五蘊②受蘊(vedanā-kkhandha ヴェーダナーッカンダ)は、六つの感覚
 五蘊③想蘊(saññā-kkhandha サンニャーッカンダ)は、感覚から生じる概念
 五蘊④行蘊(saṅkhāra-kkhandha サンカーラッカンダ)は、「したい」という衝動
 五蘊⑤識蘊(viññāṇa-kkhandha ヴィンニャーナッカンダ)は、認識
 頭をサンニャーでいっぱいにすることはない
 五蘊の無常は、たとえようがない
 永遠不滅の魂はありえない
 感じるから生命
 見える光しか見えない
 「感覚の楽」は「感覚の苦が消えること」
 あれもこれもぜんぶ苦
 苦①生きることは苦
 最高の幸福は、不幸のどん底で
 涅槃に入るとつまらない?
 苦しみがないと幸せを感じない
 苦②現象があっという間に消えること
 生命は成り立たない
 自分自身の思考こそ「悪魔」
 「思考する」なら「まだまだ馬鹿」
 阿羅漢には「自分」がない
おわりに まことの般若心経

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