著者:ハンデウン
ページ数:180
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小説日本書紀56天武② 天武の独立宣言は〝韓隠し〟だった
序言 韓地から渡来人が入植・開拓した積み重ねが倭国の歴史
〝壬申の乱〟を市民革命のように評価する向きもあるようじゃが、古代の当時においては、血統による統治が普遍化しており、王族と何ら関係のない豪族らが革命をおこして政権を奪取できるケースは稀有のことといわねばならんじゃろ。
中国大陸における歴史の進展と、倭地における歴史の進展とを同一に捉えることはできないと思われ、この『日本書紀』シリーズを通じての考証は、倭地は長らく、韓地の支配下にあったと思われるのじゃ。弥生人は韓地からの渡来人であり、以降も続々と韓地からの渡来人が日本列島に入植、開拓したからじゃ。
それは、まさに14、5世紀のアメリカ大陸、17、8世紀のオーストラリア大陸が、イギリス人によって開拓されたことと酷似する状況なのじゃ。紀元前後の日本列島は、海に隔てられた土地であり、イギリス開拓民が大海を渡ってアメリカ大陸やオーストラリア大陸に入植、開拓したように、韓地渡来人が、丸木舟でも渡れる海を渡って日本列島に入植、開拓したのじゃ。その歴史の積み重ねが、倭地の歴史なのじゃ。
前著『小説日本書紀55天武① 天武は沸流百済系倭地勢力の復権を目指した』では、〝壬申の乱〟が、韓地系百済(温祚百済)勢力と沸流百済系勢力の覇権闘争であったことを明らかにし、それとともに、中大兄王子(天智)が主導した〝乙巳の変〟は、新らたな政治を目指したというクーデターではなく、韓地(温祚)百済勢力が、倭地(沸流)百済勢力から政権を奪取したものであったことを明らかにしたのじゃ。
第35代舒明の妻となった皇極の実体は、百済義慈王の妹である宝姫であり、皇極が王位に就くことによって、韓地系百済勢力が、沸流百済系倭地勢力が掌握する大和朝廷に、その勢力を扶植することができるようになったのじゃ。
既著『小説日本書紀54天智 天智は百済義慈王血統の渡来1世』で明らかにしたように、天智も韓地系百済勢力であり、子の大友王子に引き継がれることによって、沸流百済系倭地勢力の朝廷は乗っ取られる形になったのじゃ。
その沸流百済系倭地勢力の総意が、大海人王子(天武)を表に立てて、朝廷を奪還することであったのじゃ。そのことは前著『小説日本書紀55天武① 天武は沸流百済系倭地勢力の復権を目指した』で明らかにしているので参照願いたいのじゃ。
天武が発案したという『古事記』と『日本書紀』の編纂は、倭国の独立宣言書といわれるのじゃが、では、何からの独立宣言だったのか、そのことは曖昧にされて、明らかにされていないのじゃ。
金沢庄三郎著『日鮮同祖論』は、「昔はまだ見ぬ金銀の国と憧れた朝鮮は、次第次第に人々の心から離れて遠ざかるようになった。今の世間が朝鮮の事に無理解で冷淡であるというのも、その根拠をたどればずいぶん昔からのことであるといわねばならない」と述べるように、倭国から見ての韓地は崇敬の国から、侮蔑への国へと変化したのじゃ。
『古事記』と『日本書紀』は時に偽史と指弾されるのじゃが、その原因は〝韓隠し〟を徹底したからだと思われるのじゃ。今回の『小説日本書紀56天武② 天武の独立宣言は〝韓隠し〟だった』では、そのことを追及していきたいと思うのじゃ。
なお、底本は、宇治谷猛現代訳『日本書紀』じゃ。漢数字は引用文を除いてアラビア数字にしたので了承願いたいのじゃ。〔追〕尊称の尊・命・神などは引用文などやむを得ない場合を除いては省略し、天皇は大王に、皇子は王子に、皇后は正妃に、媛や皇女は姫に、それぞれ表記しているので了承願いたいのじゃ。 2022年2月 ハンデウン
日本書紀を解体すれば〝韓隠し〟の書だった
小説日本書紀56天武② 天武の独立宣言は〝韓隠し〟だった 目次
序言 韓地から渡来人が入植・開拓した積み重ねが倭国の歴史
〈天武紀 下〉 大略
大和宮城の防衛体制を整備
天武は新都を渇望したが実現できず
倭王は倭国生まれでなければならなかった
道教では北極星を神格化し宇宙の最高神と
天智朝の政策を踏襲しなかった天武朝の新施策
沸流百済は自らの存在を黒子にして倭地の歴史を偽装
高松塚古墳やキトラ古墳は高句麗由縁の陵墓
王子らはそれぞれに宮殿があたえられた
十市姫を伊勢神宮斎宮に準備したが急死
天武は国家行事で神祇を尊崇した
王族による統治体制は沸流百済の統治制度
百済大寺と川原寺を最高位の官寺に
越国や吉備国を分割して弱体化
唐勢力を韓地から駆逐した新羅は日の出の勢い
新羅使・高麗使らは対馬邑落国への使者
義慈王後裔の百済王昌成が天武朝で重臣
天武朝で活躍した渡来人らの子孫
難波吉士一族
阿知使主一族
調氏一族
信太首一族
取石造一族
日根野造一族
曽禰連一族
三野県主一族
大狛造一族
藤原冬嗣一族
アマノヒボコ一族
錦織造一族
大海人王子が伊勢を遥拝したという額突山
〝乗馬の風習〟は渡来人によって伝来
天武朝に対馬の韓地渡来人によって銀が産出
天武は軍事を統治の柱に
地方から集めた芸能人を再教育し朝廷の楽人に
服装の改定や舞楽の演奏で新王朝を感じさせる
漢人村主も中国ではなく韓地系渡来人
真人姓最初の息長氏族はアマノヒボコ族の後裔
天武朝は韓地からの完全独立を目指した王朝
安羅(慶尚南道咸安一帯)は天孫族の故地
民部=部曲(カキベ)の語源は韓語
大王警護と軍事で活躍した大伴氏族
藤原鎌足は伽耶系渡来人の子孫
猿・犬・兎・鹿・猪なども食べていた
因幡(鳥取県)や伊豆(静岡県)は流刑の地であった
伽耶史を抹殺した新羅史を真似て倭国史を編纂
功満が敬満に高麗が高倉に転訛
北斗の精の豊受大神は京都丹後が出自
丹波は天武朝での大嘗祭の最初の悠紀の地
伊勢土着とされる磯部氏も京都丹後から移住した
天武朝に建津之身が祭神の上賀茂社を創祀
八咫烏は民衆の護符となった
種子島に使人を派遣し地図を作成
旧来の倭地勢力が信仰した農耕神を国家的な祭祀に格上げ
農民や浮浪者にやさしくなかった天武朝
天武朝に定額寺の制度で寺院を保護
白錦後苑の白錦は新羅様式の織物
駿河・伊豆も渡来人が入植・開拓した
『古事記』『日本書紀』は〝韓隠し〟の集大成
『記・紀』編纂は藤原不比等が采配
新羅文武大王は倭寇撃退のために龍になった
天武が発病し王子・諸王・諸臣らが仏に祈る
草薙剣がどうして天武に祟ったのか
『万葉集』は王子による天武暗殺を暗喩
高市王子が十市姫を毒殺し天武攻め
高市王子と大津王子が組んで草壁王子に反発
大津王子は山辺姫にクーデター支援の歌を送った
大改革を唱えた大津王子の謀反
大伴安麻呂に背を向けられた大津王子
渡来人の里の檜前に天武の大内陵
結語 自らのルーツ探しに無関心な日本人
結語 自らのルーツ探しに無関心な日本人
『日本書紀』を韓流の視座から解体し、〝韓隠し〟を指弾するのが、この『小説日本書紀』シリーズの目的であったのじゃが、今回の『小説日本書紀56天武② 天武の独立宣言は〝韓隠し〟だった』では。その目的が正しかったことを確信したのじゃ。
日本の正史とされる『日本書紀』は、天武が発案し、藤原不比等の采配によって完成したとされるのじゃが、日本の独立宣言書でもあったというのじゃ。ならば、どこからの独立であったのか。アメリカの独立宣言は、イギリスによって統治されていた北米13植民地が、独立したことを宣言するもので、1776年7月4日のことだというのじゃ。
それとまったく同じことが、千年以上前の韓半島と日本列島の間で現出されていたのじゃ。この『小説日本書紀』シリーズでの考証を重ねてきた結果、縄文人が先住する日本列島に、韓半島西海岸に都する海上王国の沸流百済の探検隊が入植し、九州に上陸して分国を建設したのじゃ。その分国が狗奴国と思われるのじゃ。
そこへ、韓半島東海岸から卑弥呼の一団が九州に上陸し、伽耶諸国から渡来した弱小諸国を連合して邪馬台国を構成したのじゃ。が、それらの国々はそれ以上に進展せず、また、沸流百済も日本列島に見切りを付けて退去した形になったのじゃ。
それから、3、400年後に、熊津に都する沸流百済(利残国)は、高句麗広開土王に撃破されて、国をあげて日本列島に避難したのじゃ。ソウルに都していた温祚百済(百残国)は高句麗に全面降伏したのじゃ。沸流百済は、大和に侵寇し、突如、百済系大和王朝を樹立したのじゃが、それは、新羅系山陰王朝の雄族であった和珥氏との両面王朝であったのじゃ。
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