著者:千川ともお
¥1,171¥0

この小冊子は、カンボジアの義務教育と高校教育の様子だ。
1990年代前半には、小学生で、低学年、高学年、どの学年を通じても、留年、退学ということが当たり前のように見えた。
そのように、目の前で接する人々と会話の中で、とても考えられない言葉が存在した。
学校の状況を一つ一つ言葉にして事実かどうか確認しながら、
「果たして、このような状況が本当なのだろうか」
ということが、奇妙で脳裏に映る衝撃的な事柄だった。
だから、目の前のこととして、映りにくかった。いや、目の前の事柄が、決して難しいことを聞いているのでないが、分からないのだ。理解することに相当な時間がかかった。
体験したことがないからだ。
そのくらいに、想像することが難しかった。
「学年と、年齢がそろわないということから始まった」
その年齢と学年が、数年から、それを超える学年と年齢ということが常に結びつかないことが起こっていた。
例えば、富める国の小学校で、
「小学1年生ならば、年齢が、6歳とか、7歳」
ところが、そういう年齢が通用しない。
小学校に行く機会がなかった幼少時が、内戦だったからだ。さもなければ、難民キャンプや世界の他の国々から戻ってくることで突然、プノンペン、地方都市、地方農村部などに住むようになる。その時、10歳になっている。
または、それを超える年齢になっていることは、日常的なことだった。その時に、小学校に行くことになる、
「果たして、この生徒さんは、何年生として、学校に入学できるのだろうか」
ということから、小学校に入学することになるのだ。
内戦によって、失ったものが大きいのだ。
そのくらいに、内戦、戦争、飢餓という現実があると、ごくごく日常的な考えが、何が何だか分からなくなって、具体的なこととし、把握できない。
目の前の人々が、想像できない生活範囲で時を過ごし、不可解な教育環境が拡大していることが、分かってくる。
そんな中、1990年代前半に、こうしたことを記したものがなかった。
そこで、当時のことを綴ったことがあった。
というのは、
「分かる、分からない」
という連続がひたすら続き、意識として理解していないからだった。
そんなことの連続だった。
それから、25年以上が過ぎた。首都プノンペンの教育環境は確実に進んできている。
だから、新たに気づいたことと、今まで続いていることなどを記してみたのだ。
本書では、ここ数年に首都、地方都市で、再び見たり聞いたりしてきたことになる。
それでも、教育環境は、新たな生活環境の中で、進んでいることに気付かされる次第だ。
首都プノンペンで見る教育状況が、新鮮に見えもする。
だが、かつてのパゴダでの教育環境を引き継いで、育っているようでもあるのだ。

シリーズ一覧

  • 同シリーズの電子書籍はありませんでした。

 

  Kindle Unlimitedは、現在30日間無料体験キャンペーンを行っています!

この期間中は料金が980円→0円となるため、この記事で紹介している電子書籍は、すべてこのKindle Unlimited無料体験で読むことが可能です。

Kindle Unlimited 無料体験に登録する