著者:堀江 満智
ページ数:299

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[商品について]
――明治初期に多くの日本人がウラジオストックに渡りましたが、彼らは日本の何処から出航したでしょうか。
1.横浜、2.長崎、3.函館
正解は、本書第2章「一 日本から浦潮へ渡る者がふえ続ける」をご覧ください。

明治、大正時代、多くの日本人が居留民としてさまざまな仕事をしながら暮らしていた極東ロシアの港町ウラジオストックは、ソ連時代に軍港都市として外国人はもとよりロシア人でも許可なく入ることのできない閉鎖都市となり、かつての日本人居留民の暮らしや民衆どうしの交流の日々は殆ど語られることなく70年余りの歳月が流れた。本書は、明治から大正にかけてそのウラジオストックで居留民として暮らした祖父母や父が遺した写真や日記、手紙などの浦潮時代の遺品から、当時のウラジオストックに生きた市井の人々の姿を蘇らそうと試みた作品である。夢を持って懸命に外地で働いた素朴な民衆が、侵略と戦争の国策に取り込まれていった20世紀という時代のの日本人の歩みの一端を、明治・大正時代のウラジオストックという一ページを切りとって考察した一書として、示唆に富む内容となっている。

[目次]
制作後の目次が入ります。
まえがき
一章 私とウラジオストックの出会い
一 祖父母や父が生きた時代のウラジオストックに想いを馳せる
二 予想以上の収穫があった初めてのウラジオストック訪問
二章 日本人居留民史概観
一 日本から浦潮へ渡る者がふえ続ける
二 日本人の公的動きを代表する場、日本居留民会
三 親睦と社交の場、浦潮日本人倶楽部と商店の互助団体、浦潮商友会
四 日露友好の礎となる子供たちを育てるための日本小学校
五 心の拠り所、浦潮本派本願寺
六 日本人の経済活動は第三次産業が多かった
三章 堀江直造のウラジオストック
一 西澤源次郎商店主人の信頼を得て浦潮へ渡る
二 直造、経営者となり、商売の基盤を確実に固め広げていく
三 日露戦争後の日本人社会の発展と直造の活躍
四 直造の妻、萬代の日記が語る浦潮の暮らし
五 直造の日記が語る商売、革命、「出兵」、日本人居留民会、日露交流
四章 引き揚げ―浦潮との永遠の別れ
一 日本軍国主義との心中で幕を引いたウラジオストックの生活
二 直造五十一歳、萬代四十五歳の時、京都に引き揚げる
五章 堀江正三の極東ロシア
一 ロマンチストな文学青年
二 帰国後の日記が語る「心のロシア」
六章 居留民の子孫の方々と知り合って
一 ハバロフスクの発展に力を尽くした竹内一次
二 浦潮を想う居留民の子孫に次々出会う
七章 私の日ロ交流、そして未来へ
一 日ロ双方で事実を調べ、共通の歴史認識に立った 浦潮日本人居留民史の総括を期待する
二 日露交流研究や友好の裾野を広げるため 「関西日露交流史研究会」を発足させる
付記 日記原文・資料
堀江直造日記の主な内容
堀江萬代の日記  1908~1910年
堀江直造の日記  1916年(日本帰国の時の記録)
堀江直造の日記  1916年8月30日帰国の記
堀江直造の日記 1917年5月9日 鳳山丸に乗船帰京す
堀江直造の日記 1917年
堀江直造の日記 1918年
堀江正三の日記 抜粋
資料の手紙一覧 (宛名はいずれも、居留民会長堀江直造)
堀江直造宛の各手紙の大意 (現代語に言いかえた。差出人敬称略)
明治・大正時代の浦潮における日本人商店、企業
《参考資料》 明治四十四年~四十五年の物価
あとがき
解 説
電子書籍にするにあたって
《著者略歴》

[出版社からのコメント]
日本とロシアの関係というと北方領土問題がすぐに頭に浮かぶ方も多いと思いますが、ウラジオストックもまた戦争によって多くの市民の生活が奪われた場所として、記憶に留めておく必要があるのではないかと思います。学ぶべき本当の歴史は庶民の生活の中にあることを示す作品として、ぜひ本書を多くの方に手に取っていただければ嬉しく思います。

《著者略歴》
堀江 満智(ほりえ・まち)

1940年 京都生まれ。
1963年 同志社大学文学部英文学科卒業。
1963~1990年 京都市立中学校教諭。
1990年~2015年 祖父・直造が1921(大正10)年に建てた自宅を使い〝B&B Horie〟を主宰する。

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