著者:竹山伸彦
ページ数:59
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昭和50年夏、二十歳の私は高野山龍泉院にて座禅をしていました。私の左側には、当時九十四歳の江崎グリコの創業者の江崎利一様(明治十五年のお生まれ)が座禅を、また右側には、当時八十二歳の松下幸之助様(明治二十七年のお生まれ)が座禅をしておられました。
お二人は、同じ大阪の経営者という事で、戦前からの無二の親友ということでした。またお二人とも昔から座禅や瞑想がお好きとのことでした。
高野山の涼しい山風が私達三人の座っている龍泉院の本堂の中を吹き抜けて行きました。
江崎様が、松下様に問われました。
江崎様「経営とは何か?」
松下様が答えられました。
松下様「燃え盛る炎の中で瞑想し、じっと魂を磨くこと。」
今度は松下様が江崎様に問われました。
松下様「悟りとは何か?」
江崎様「全宇宙のすべてを受け入れること。是非善悪を超越してすべてを素直に受け入れること。そして、あるものは、あるがままにある……。」
このような内容で、お二人はよく座禅をして問答をされていました。一緒にお聞きしていた私は、最初は、内容が難しすぎて、何のことやらチンプンカンプンでした。
しかし、何回もお聞きしているうちに次第にその意味がわかるようになって来ました。
お二人は、心が大空を舞う風のように自由に飛び回り、魂と魂が時にぶつかり、時に左右に分かれて、またぶつかりと言うように知恵と知恵との空中戦の格闘技をこの禅問答にて楽しんでおられるように見えました。
夏の高野山の龍泉院は、お二人の隠れ家的な憩いの場、魂の修行の場でもあったのです。
諫言
良く晴れた夏の日、高野山の龍泉院の秘宝である安土桃山時代の茶器にて、江崎様と松下様が、茶の湯を楽しんでおられました。お二人の昔話に花が咲いておられました。
その時、おもむろに江崎利一様が、静かに松下幸之助様に言われました。
江崎様「松下さん、現在、君はきわめて危ない状況にある。経営の神様とか、日本の素晴らしい経営者とか言われて、みんな君のことを褒めている。実際、仕事も順調に進んでいる。それはそれで、とても喜ばしい事でもある。しかし、経営者として、人が百人いて、百人が百人、すべての人から褒められる時が、実は一番危うい時でもある。トップの長たるもの、人から褒められる倍に匹敵するだけの反省と精進をしなければ結局のところ将来的に自己破滅する。まあ釈迦に説法ですが、古くからの友人からの老婆心です。」
と言われました。
それを聞かれました松下之助様は、うなづきながら言われました。
松下様「まったくその通りです。最後は心の油断、自分の自我や慢心、自分との戦いですね。…」
私は、あの松下幸之助様に『現在、君は極めて危ない状況にある。』と言われました江崎利一様のお言葉にはじめは驚きましたが、良くお聞きしてみるとなるほどと思いました。
松下幸之助様は、いつもお忍びで、元老会議だということで、たったお一人で江崎利一様にお会いするために龍泉院に来ておられました。そして、帰られる時には私がお寺の木戸までのお送りをしていました。その途中、松下幸之助様が私にしみじみと言われました。
松下様「竹山さん、私が寸陰を惜しんで江崎様に会いに来るのがわかるでしょう。私も自分の会社に帰れば、御大将として奉られて誰も諫言なぞしてくれないのです……。孤独なものです……。」
松下様「でも江崎さんだけは昔と変わらずに諫言して頂ける。素直な気持ちで私のことを考えられて諫言して頂ける。私も江崎様の純粋なお言葉をお聞きして、ハッと気づかされ心が喜んで受け入れている。新しい気づきがある。勇気が出る。ありがたいことなのです……。」
私は、あれだけ経営者としてお忙しい松下幸之助様が、わざわざお忍びで高野山に来られます理由が、少しわかったような気がしました。
私の夏休み
私は、昭和五十年から五十三年までの四年間の立命館大学の学生時代の夏休みは毎年、二か月間、和歌山県の高野山の龍泉院にお手伝いに行っていました。
四年間×二か月間ということで、八か月間は、夏の涼しい高野山にて過ごしていたということになります。
なぜ四年間も続けて毎年、夏休みに高野山に行っていたかといいますとそこには、下界ではなかなか出会う事の出来ない江崎利一様や松下幸之助様のような方達と直接お会い出来たからです。高野山では、その方達との会話や座禅のような貴重な体験が出来たからです。
江崎利一様と松下幸之助様は、お互いの小さいころの境遇や環境もよく似ており、同じ大阪の経営者で気の合う友人ということで、戦前からかれこれ四十年ほどのお付き合いであるとのことでした。
高野山の龍泉院には、戦前から避暑のために毎年、江崎グリコの江崎利一様が、一か月半の長逗留で来ておられました。そして、その龍泉院に滞在しておられる江崎利一様を尋ねられて、松下幸之助様が、お忍びで来ておられました。
その龍泉院にご縁がございまして、たまたま私が一回性の夏休みに泊まり込みのお手伝いに行きました。
高野山に行きました私もまさか、ここで、そんな偉大なる経営者のお二人との偶然の出会いがございますとは、まったく思いもしませんでした。
また、当時の私の立命館大学の前期試験は、夏休み明けの9月でした。ですから私は、この前期試験のために専攻していました経営学部の本やノートを高野山に持参していました。その中にアメリカの経営学者のピーター・F・ドラッガー教授の『マネジメント(経営学)』の本もありました。このドラッガー教授の本を読みまして、江崎利一様と松下幸之助様と高野山にて、お話を致しました内容も本書で記述させて頂いています。
そのような、たまたまの偶然な幸運により、昭和の偉大な経営者であるお二人から私が直接、お話をお聞きしたり、座禅をご一緒に体験させて頂きましたエピソード等のお話を今回、本に致しまして発行させて頂きました。
題名
松下幸之助が、師表と仰ぐ江崎利一との秘話
経営の神様が語った人生、仏教、ドラッガーのマネジメント。
グリコ創業者、江崎利一の神髄。
目次
はじめに
一、お二人の子供の頃の思い出
二、ドラッガーのマネジメント
三、高野山での祈り
四、仏説魔訶般若心経
あとがき
著者 竹山 伸彦
この本の表紙のお二人の直筆の書につきまして。
私は、高野山にて、お二人から直接、書いて頂きました直筆の書を今回の本の表紙のデザインの中に入れさせて頂きました。
1.江崎利一様の直筆の書のお言葉につきまして。
『創意工夫』、『積極果敢』、『不屈邁進』、『質実剛健』、『勤倹力行』、『協同一致』、『奉仕一貫』の七つの熟語は、私が江崎利一様に教えて頂きましたグリコ精神のお言葉です。
これは、日露戦争に従軍されました体験や徒手空拳から会社を立ち上げられて、日本の代表的なお菓子のメーカーに育て上げられる過程での江崎利一様の心の琴線にふれた珠玉の名言とのことでした。
2.松下幸之助様のお言葉につきまして。
『素直な心になりましょう』という私が松下幸之助様から頂きましたお言葉は、私が高野山にて松下幸之助様に「百年後、二百年後の日本人に伝えたい私の一言を書いて下さい。」とお願い申し上げまして、その場で快く書いて頂きました。この書を書いて頂きました高野山の龍泉院には、松下幸之助様は、お忍びで、お一人で来ておられてましたので、落款や印鑑はお持ちでありませんでした。
そして、「竹山さんなら、いいでしょう。」と言われまして、松下幸之助様が、江崎利一様の朱肉をお借りなされまして、印鑑の代わりにご自分の指の拇印を押されました一点ものです。私は、『大切にしなさいね。』とお二人から言われました。
私は、落ち込んだり、元気が無くなった時には、この松下幸之助様の書の拇印のコピー(原本は銀行の貸金庫の中に厳重に保管してあります)に自分の指を合わせまして、当時のことを思い出したり、勇気や元気や運気を頂いています。すると本当に私の指先から全宇宙からのエネルギーのようなものが洪水のように押し寄せて来まして、私は元気になったり、運気が良くなって来たりしています。私は、誠にありがたいことだと感謝致しております。
【読者限定プレゼント、あります。】
本書を購入して頂きましたら、あなたにとっておきのプレゼントをご用意させて頂きました。
私が江崎利一様と松下幸之助様から直接、高野山にてお聞きいたしました5つの人生のアドバイスです。
是非、ご購入されて、プレゼントを受け取って下さいね。
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